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このページでは、レコレクショヌールの担当者が見聞きしたミリタリア・コレクションにまつわる様々なエピソードを、ご紹介いたします。
エニグマティックなドイツ軍野戦服「フェルトブルゼ」第6ボタン増設
第6ボタン増設−旧世代の説への疑問提起
ドイツ軍野戦服フェルトブルゼは1941年5月26日の陸軍規定558号により、それまで5個であった「前部閉鎖ボタンを6個とする」と規定されました。しかしながら多くのドイツ軍規定がそうであるように、この規定はこの増設の理由について何の説明もしておりません。我々の先輩たちの説明では、多くの素晴らしい著作をもつJ.R.アンゴリアの説明と同様に、「戦争の進展に伴う被服素材の劣化により、それまでの5個ボタンでは上衣の閉鎖の確実性が不足するために1個増設した」という説をとってきました。また非英語圏の欧州諸国では、大サイズの被服の機能保全と外観の改善のために、という説もあったそうです。以来20年、この「素材の劣化」説は疑われることなく信じられてきました(単純な疑問として―何故ヴァッフェンSSの野戦服は最後までボタン5個なのか―というものがありました。本体素材の質の悪さではSSの野戦服は陸軍・空軍・海軍の中でも最低です。素材劣化により、閉鎖部分の確実性を期するため、という説明はこの点、説明能力を欠いていたのですが、当時の私たちコレクターたちの間では、恥ずかしながら、現代のコレクションの知識でSS関係物を他の組織と同格に冷静にに見ることができず、なによりも怠惰であったわけです。)が、ここ5年ほどで激しく変わった「ユニフォーモロジー・制服学」の世界、深遠な考察と冷静な裏づけに基づく新説が出てきておりますので、ご報告します。これらの論説はレコレクショヌールの担当者が買い付け主張のおりの対話で、また日々の各国のコレクターとの通信で得たものを「多数派」として認めえるものと判断したことをまとめたもので、無意味な報告者の私見はいれておりません。
新論説の基本点
近年の、この「第6ボタン増設」の理由に関する考察の主流は「陸軍上衣の伝統性の復活」です。これには「革新的任務服」でったフェルトブルーゼの特性をもう一度考える必要があり、「新・国軍の代表的上衣であるヴァッフェンロック」との関係、そして新戦域での熱帯服の開発、拡張された戦域での上衣着装の変化と、この「小さなボタン1個とボタンホール」に大変多くの要素が関係してきます。
フェルトブルゼの開発の背景には@第1次大戦敗戦の責任論、A賠償金支払に苦しむドイツの経済観念B新構想による任務達成能力の高さなど、様々な要素がありますがこの「第6ボタン」問題には@とAが関係すると考えられます。第1次大戦は「中世以来の領邦国のルーズな集合体であって、統一の遅れていたヨーロッパの後進国・ドイツ」がプロイセン・ホーエンツォレルン王朝を中心として、他民族性という「ドイツ国」の条件に合わないオーストリアとの連合による「大ドイツ国」構想を推し進めたために起きた戦争であったわけであり、当時のドイツ国民の知識層の間では「背後からの一刺し」などという政治目的がありありとわかる理由付けなどは信じられていませんでした。統一ドイツの目標は、戦前にもまして推進しなければならなかったことであり、新生国軍となる休戦防衛隊「フリーデンヘール」で初めて使用され、さらにライヒヘールで広く使われる様になった、国家紋章をいれないボタンをみても理解できます。これは「ボタンは多い方が良い」といった旧体制の軍被服に反発ともなり、これはまた良好な経済的効果をもねらったフェルトブルゼの前部5つボタンの採用へとつながり、さらには第1次大戦敗戦の責任のあるプロイセン主導の敗戦時の旧体制の否定と新生ドイツへの希望を反映したものであるといえます。41年型フェルトブルゼとヴァッフェンロックのリンク!
このフェルトブルゼの5つボタンが、6個に変更された41年5月26日の5日後、5月31日にこのボタン増設型新型野戦服の決定を待っていたかのようにヴァッフェンロックの廃止の決定が規定されます。このヴァッフェンロックの廃止はアメリカ軍などにある「戦中のみの休止」ではなく、使用されなくなったこの服を改造してフェルトブルーゼに準じた形状に改造して使用するもので、ヴァッフェンロックそのものの消滅、でした。ここでもう一度ヴァッフェンロックの位置と、持つ意味についてもう一度考えてみる必要があります。日本とアメリカのコレクション界ではこのヴァッフェンロックは「礼服」、「パレード上衣」と呼称されますが、これには誤解と理解不足があります。「ヴァッフェンロックは礼服である」ということで野戦服に興味のある方には忌避され、華美な制服に興味のある方には必要以上にその軍被服としての「非日常性」が強調されてしまっていますが、「ライベルト」教本などで示されるとおり、ヴァッフェンロックは着装機会も多く、概念的に諸外国でいうところの礼服と制服の中間点にあり、そしてさらに制服に近い日常性をもつ被服、と考えられます。またさらに、頻度の高いヴァッフェンロック着用で表示されるドイツ国軍の国民への国軍存在表示の背景を理解するには、一般にベルサイユ条約下のドイツ国軍に対する「兵力10万人しかない弱小軍隊」という誤った認識が障害となっています。「10万人しかいない」国軍は実は兵士がこの10万人の中にとどまるのは大変なこと、技能、年齢、体力が、少しでも衰えると、陸軍にはとどまれず、退官させられ、準軍事組織へ移らざるを得ないものでした。他国から押しつけられた兵員数制限は皮肉にも戦勝国にとっては不利となるドイツ国軍の能力向上を招いており、またドイツにとっては「超少数精鋭構築ための格好なリストラ制度」となっていたのです。中世以来、ドイツの各領邦国では軍制と農民対策、都市における徒弟制度などとの兼ね合いをしなくてはならず、(シャルンホルスト等による徴兵制度の採用があったとはいえ)平時でも軍人と軍組織維持のための管理職(Beamte、やや内容は異なるのですが日本で軍属と約される管理将校)を無駄に多人数常時雇用しなくてはならなかった旧体制でした。ここで条約下で「ドイツで初めての純粋な国防組織」としての全く違った組織になった陸軍は、その顔としてヴァッフェンロックを着用させていたのです。この状況を説明しうるもうひとつの例が1918年の休戦防衛隊フリーデンヘールで既に採用されており、M44短上衣、終戦まで使用される、陸軍襟章(クラーゲンシュピーゲル、またはドッペルリッツェン)です。この襟章は第1次大戦からずっと存在している、とよく誤解されているますが、1918年までは実際には近衛兵のみの特別襟章だったもので、この10万人陸軍の編成時に「10万人―総近衛兵―」の気概とともに採用されたものです。兵科色表示などの機能を失っても残存するのはそのためです。(さらに西ドイツ、東ドイツでもあそこまで存続させたのも!)そして簡略化を開始するフェルトブルゼの傍らで1941年半ばまで廃止をせずに粘ったヴァッフェンロック。この概念的な意義を何らかの形で継承しなければならない。ましてやフェルトブルゼは簡略化されてゆく一方であろうことも予想できたことで、「脱伝統性の点でやや、やりすぎた」フェルトブルゼの5つボタンに伝統回帰のための6個ボタンを採用する決定がなされた、という考察を得ることができます。繰り返しますがヴァッフェンロック廃止−6個ボタン採用−の間には6日間の差しかないのです。もう1点、この「フェルトブルゼ・41年生産型」ではもう1点大きな変更がありました。この形式の生産途中で「内蔵サスペンダー・トラーゲグルテ」の独立・別体式を廃止し、服に直接、部分的トラーゲグルテを縫いつけ、ザイテンハーケン受けとした措置がとられることです。このサイトを読んでくださっておられる方はご存知のとおり、これは戦時の省略ではありません。トラーゲグルテ=Yストラップは機能面にイコールであることは既述のとおりで、Yストラップは背嚢トアニスターのストラップを本来の姿とする、わけですから、この41年生産型後半生産分において初めて、腰フック・ザイテンハーケンに大きな重量がかからない状態が是認された、つまり第2次大戦独自の装備であるYストラップの定着と、第1次大戦(1890年代から変わらない!)背嚢装備の放棄が決定付けられたのです。反対疑問1)「戦中で資材不足がある中、ボタン増加という決定が被服の印象の懐古趣味で決定されるだろうか」
これについては、ドイツ軍被服に関してのみ考えていると、解りにくいと判断します。特に「第2次大戦ドイツ軍」の研究は、「国粋?主義的」な傾向があり、ドイツ軍以外の諸外国の研究との比較がなされない欠点があります。
比較1)−ソビエト陸軍ではドイツとの戦争の真っ只中、43年1月に帝政型大型肩章が復活しています。
比較2)−さらに物資不足という点では納得できる日本陸軍では、将校服「3式」の襟章大型化と資源、作業工程ともに多大な袖階級章が制定されています。論説・別項1)将校上衣を起点とした考察
第2次大戦ドイツ陸軍将校上衣は、日本と欧米英語圏では、「制服」、「勤務服」、「サービス・チュニック、ジャケット」と呼ばれていますが、実際の当時の呼称は官給・兵用と同じ「フェルトブルゼ」です。この将校用上衣は、実物残存数が多く、写真でも多く見る「6個ボタン」は開戦後、または若い将校による着用が多いものです。セルロンと呼ばれる化繊使用擬似金属糸が使用される前の、真っ黒に変色してしまう金属糸を使用している徽章を使っている時代、また襟のアップツァイヒェン・トゥーフ、徽章専用布の青緑色がまだ薄いころですと、ほぼ全てが5つボタンです。*確認しますが、ここでいうのは官給品の将校改造使用ではなく、テーラーメイドなどの上衣です。この5つボタンの将校上衣、開戦直後に6個ボタンへ大多数が変遷してゆきます。これも当初官給フェルトブルゼにあわせた「新構想の主張・伝統の否定」5つボタンが、「やや、やりすぎた革新性と伝統の否定」を意識して6つボタンが主流となったこと可能性は大変高いといえます。また少なくとも、上質の生地を使う将校被服で「ボタンを増やさないと上衣のボタン閉鎖機能が損なわれる」という以前の意見は納得できない要素です。さらにこれも「同時代他国軍」の例と比較検討してみると、自由度の高い将校でおきた現象が確定要素となって官給品被服へ反映されてゆく、という点を考慮し、将校被服、または私物が新しい軍被服のトレンドを作る、という傾向も意識すべきでしょう。論説別項2)熱帯服を起点とした考察
第1次大戦の敗戦で海外植民地を失ったドイツ「ヴァイマル」共和国時代にはは、イギリスなどにおける30年代の新型海外派遣軍−植民地軍向け被服の開発などとは無縁でした。植民地を保持していたならば永続的に使用されるはずだった旧帝国領アフリカでの練った衣服は20・30年代にその当時の「サープラス品」として、突撃隊SAなどに使用され、あの赤みの強いカーキ色の制服の基調を構成していました。それがアフリカ、さらにイタリア・地中海域での作戦のためにフェルトブルゼの概念と生かしつつ作製した開襟「5つボタン」のアフリカ向け野戦服、このボタンが「開襟でも常に5つボタン」―「本来は詰襟、もう1個のボタンは熱帯服だけの暫定的廃止」―「潜在的6個ボタンの発生」という推移により、「6個ボタン野戦服」の概念構築の基盤となったという考察です。この項の最後にこの熱帯服の件から分岐した新しい説も既述しますのでご参照を!論説・別項3)領土拡張による温暖地域でのフェルトブルゼ着用に起因する要素
フェルトブルーゼ41年生産型のボタン増設決定をわずか20日後に控えた41年5月6日、陸軍規定494号では、ブルガリア、ギリシャ、ユーゴスラビア、ルーマニア、イタリア、南西フランスの各地では(のちにウクライナも)フェルトブルゼを開襟にしての着用を可としました。つまり、それまでの詰襟が基調というフェルトブルゼの概念が規定によりはっきりと否定されたわけで、どのような状況下でも、最上部のボタンを使用せず、開襟となる状況が確定したことになり、ここで「最低でも上衣にはボタンを5個」という伝統維持の必要性から前部ボタン6個が決められる、というものです。ここで「襟布−クラーゲンビンデは開襟状態での着用のために、上衣下襟裏部分にボタンがあるではないか。30年代の生産開始時点からフェルトブルゼは開襟を考えているではないか。」という指摘があると思いますが、これは「暫定的なもの」と「恒久的なもの」の差異がある限り、永久開襟ということはいえないと考えられます。実物フェルトブルゼでは、41年生産分以降、「ポケットプリーツ廃止・ポケットフラップ水平型」の俗称M43では特に、ミシンや糸で襟を開襟状態で固定したフェルトブルゼの残存例があり、またドイツ人の間で戦争中に普及していたスタジオ写真・ポートレートでもこの状態で襟付きシャツにネクタイと締める例もあります。さらに前者の「襟の開襟固定」は襟がアップツアィヒェンツゥーフ・緑の襟の時代にはまずないことです。派生考察:仮定法過去の1946年のドイツ軍上衣
あってはならないことですが、「もし」ドイツが戦勝国となった場合、あるいは有利な条件で講和することに成功し、陸軍が完全に解体されなかった場合、ドイツ軍上衣はどうのようなものに発展していったか、遊び感覚で考えてみます。
全体:M44短上衣は我々が思っているほど生産数は多くない、またこの考察の基本姿勢である「伝統への回帰」を採用して、4ポケット上衣が復活する。45年を過ぎるとすぐに再生ウールは廃止、生地は30年代並の上質の素材、青みがかった生地で厚手に戻る。
ポケットおよびポケットフラップの形、またアップツァイヘン・トゥーフ(緑の襟など)の復活:これに関しては、諸説あることでしょうが、アップツァイヘン・トゥーフは復活せず、ポケットは思い切って43年生産型、角型フラップ、プリーましのままと予想します。
襟:アメリカ、そしてイギリスの終戦直後にすぐ回収されたバトルドレス平時型をみるに、唯一M44短上衣からの遺産、上衣開襟・ネクタイ着用が採用。そして側面フックは上に直接縫いつけで1対のみ。そして、前部ボタンはかなりの確率で6個ボタンであるといえるでしょう。〜ベトナム戦争アメリカ軍Cレーションをめぐる最近の状況について〜
ベトナム戦争の印象構築で、戦闘糧食Cレーションその内容物とともに、兵士の身の回り品の感触、また食事という現実感のあるものを実感できるアイテム、としてコレクター間で収集対象として大変人気があります。ある意味で現代のアメリカ軍レーション、各国軍緊急レーション、国連の難民救援レーションが輸入され、こうばいされるのもこのベトナム戦争アメリカ軍Cレーションが30年前に「軍用形態糧食」のカテゴリーを構築したから、といえるでしょう。しかしながら以前は用意に入手できたCレーションも、アメリカ国内では、軍や各官庁(州、群の倉庫)で「見つかると」食品衛生法の規制対象となり、またこれが近年(食べてしまった)人がいて事故となり、規制が強化されています。そのためアメリカでは入手が不可能、日本のコレクション輸入業の方々は言葉の問題もあって99%がアメリカから仕入をなさいます。そのため、ここ5ねんで急速に消えてしまったわけです。当方ではCレーションは上記の理由でオーストラリア、ドイツ、韓国で探しますが、それでもここ(10年以内7年以上)で「絶対に」欠品しているのがフルーツのロング缶です。水分が多いのと、腐敗して膨張する度合いがフルーツが最も多いからです。完璧完全品というもので、このフルーツ缶は破砕していて、缶きりで切って開けて内容を廃棄、洗浄してあるというものが全てになっています。困ったことに価格は様々で、まだ相場が構築されていなうようです。これはベトナム戦争関係コレクションの欠点でもあるのですが価格が一定ではありません。当方で扱ったものの原価で¥2000相当から¥10000相当までの開きがあります。そのため、購入するコレクター側で、購入する価格の上限を決めておいたほうが常識的な発見・購入プロセスになりうるでしょう。例によって、この手のものはご当地のアメリカが最も高額です。全体として、いまや、Cレーションは全部中身がそろっているものを、ぽんと一度で買って、お終いという時代ではなくなってしまったようです。缶、スプーン、Aパックを個別に買ったり、複
数の箱を組みあわせて理想の状態に近づけてゆく、という作業になってしまっています。噂ですが、破砕していることがほとんどのフルーツ缶はこれだけ、重さも正確に再現したレプリカが計画中、とのことです。最後に希求度の高い「タバコ入り」Aパックは流通している箱の中にはいっていることはほとんどありません。口惜しいですが、世界中どこでも¥5000相当で個別・独立のコレクション対象として取り引きされてます。
〜ヨーロッパ出張中に会う機会のあった元ドイツ陸軍兵士との面談で得た興味深い話し、その2〜かなり以前になってしまいましたが、ドイツにおいて行った元ドイツ軍兵士へのインタビュー/聞き取り調査「ドイツ軍兵士の下着」に続く第2回です。
インタビュー証言その2)支給された野戦服/フェルトブルーゼは工場から送られた新品ではなかったこと。
発言1−「支給されたフェルトブルゼは服の胴の部分−すそが詰められ、腰のポケットのゆとり部分が縫い止めされたものだった。ボタンも艶のあるものとないものがあったので、目立つ部分は自分と色が同じ物に変えた。」
発言2−「同僚たちが支給された服でも、改造されているものは多かった。特に多かったのは腰ポケットで、ゆとり部分の縫い止めだった。次に上着の長さを短くするためのポケット位置の上方への移動だった。極端なものはポケット自体が上下に短くされているものもあった。」ここまでの内容でわかるとおり、実物のフェルトブルゼを我々が目にする際にとても多い例であることろの、「外出着として見栄えを良くするためにすそを詰め、野暮ったい印象があった[アコーディオン状]のゆとり部分は縫い止めされた服」は、改修されたあと、そのまま別人に再支給されていたことがわかります。
以下は元兵士とのインタビューです。
Q―「改造で、我々コレクターが裾詰、ポケット位置変更に続いてよく目にするのが脇、腰部分を細くした改造なのですが、それはどうでしたか。」
A―「確かではないが、なかったと思う。」
Q―「廃品の復活を目的とした改造で、服全体を一度ばらばらにして裏がえして、再度組み立てた服はどうでしたか。支給されていましたか。」
A―「それはみたことがない。」
Q―「改造服への兵士への印象はどうでしたか。」
A―「特に何も。ただポケットの要領が小さいのは困った。」
Q―「ポケット位置の変更により、ベルトフック・ザイテンハーケンを通す穴が少なくなったりして不便があった、ことは。」
A―「我々はザイテンハーケンを使わなかったし、使用法も知らなかった。」(この答えにより戦争後期でYストラップが普及し、ベルトフックが使用されなくなっていったという経緯が推測され、全く別物ながら、Yストアップがベルトフックの後継装備となっていった、という事実が裏付けられます。)
Q―「改造服に手を加えて元に戻そうとはしませんでしたか。」
A―「我々にはそんなことは出来ない。糸と針で徽章を縫うのがやっとなのだから。」
このように、最初の持ち主が余裕を持って改造した野戦服は改修されて最低限の補修をされたあと、別の兵士によりほぼそのまま使用されていた、というのがわかります。当時の記録写真などでよく見る、最前線の兵士が綺麗に改造された野戦服を着ているのは、「さすがドイツ兵士、最前線でも服を改造して見栄えを気にかけるとは。」などという判断は現実的ではなかった、といえるのではないでしょうか。ほとんどの兵士は支給されたものはそのまま使用していた。改造するような感覚も技術もなかった、というのが実際であったと考えられないでしょうか。〜ドイツ軍M43カイルホーゼについての考察/そのコレクションとしての位置についても熟考する〜
前回のコラムで、元ドイツ兵士から得た発言のひとつに「コレクターたちがカイルホーゼと呼んでいる、裾を縛れるズボンは見たことがない。角型ポケット、6ボタンのフェルトブルゼ(M43のことでしょう。)は支給されたが、これと一緒に、または同時期に支給されたのはそれまであったのと同じのストレート(ゲラーデシュニット・ホーゼ)トラウザースだった。これは何度もドイツ人コレクターに聞かれた。コレクターたちに乞われて、戦友の集まりで同僚たちにも聞いたがやはり同じ意見だったので事実である。ズボンというのは、用便などの必要性から上着よりもよく覚えているものだと思う。ただ、このことを納得しない人は多い。」というものがありました。
我々は、軍服、というとついつい上下揃い、上着が支給されたらトラウザースも一緒に、と考えがちです。これは我々がコレクションの世界の入門品として手にした、戦後アメリカ軍被服の印象をひきずっていて、そう考えてしまうのは無理がないのですが、上着とズボンは別のカテゴリーである、という事実があることを理解すべきなのかも知れません。ここでM43服が支給されるとしたら、必ず「つがい」でカイルホーゼと呼ばれる楔(くさび、ドイツ語Keil)型トラウザースが一緒に支給されたとはかぎらない、さらには我々が従来、旧型であると考え、更新されるべきものとしていたストレート・トラウザースが長期にわたって支給・着用されていた、いう仮説をたて、これを考察します。カラー、装備を服に固定、夏でも裏地がなくて涼しく、袖まくりも出来る「機動戦闘服」だった画期的なフェルトブルゼの開発に対して、当時のストレートズボンは第1次大戦時の支給品のポケットの位置を僅かに変えただけの単純なものでした。「トラウザースは体温調整など人体の保護に重要だからクラシックなフォルムを守った」という考え方も出来ますが、フェルトブルゼの概念の水準を生かすようなトラウザースを開発する必要性がなかったというのが普通ではないでしょうか。名称を考察の手がかりとするならば、野戦服はFeldbluseですが、トラウザースは当時単純にhoseと呼ばれており、Feldhose、野戦ズボンとは呼ばれていません。確かにマーキングなどに残る生産年度から、カイルホーゼが43年頃から生産されているのは確認された事実です、しかしながら、従来型のストレートトラウザースで支給の需要はまったく満たされていました。野戦服・上着の戦時型、新型は素材の改定、簡略化を目指した裁断の変更等の特性をもち、この生産により第1に生地などの生産素材の節約、第2に生産工程の水準低下により低レベルの被服工場でも生産が可能、これによる増産という「利点」がありますが、ストレートトラウザースからカイルホーゼというトランジション(移行・変遷)にはこのような利点がなく、むしろ構造は裾部分の構造などで複雑化しています。工場の生産ラインを変更してまで移行させる必要のなかったトラウザース生産は、あえて新型・戦時型の大量生産に踏み切らず、旧型の生産がそのまま続いた、という可能性はかなり大きいといえます。このことからM43・カイルホーゼは「存在はした、しかし生産総数は我々が思っているよりもかなり少ない。」というのが現実であると考えられます。「事実は事実をもって推測する」とすると、現在実物コレクションにおいてもとより希少品のドイツ軍トラウザースですが、カイルホーゼは残存数と流通量が非常に少なく、入手困難です。カイルホーゼの希少性は「トラウザースは戦後民間で使用されて損耗されたから、ない」という各国軍トラウザースの共通性でその希少性をみてもあまりあるほどで、あまりにも少なすぎます。この事実は、「当時より生産量が少なかった。もとより存在数が少なかった。そのため、現存するコレクション数も少ない。」と考えるのがより現実的であるといえます。現代人である我々はつい、軍支給品について考える場合でも、現代的な感覚で、「上着があれば(つがい)でズボンも、同時モデルチェンジされる」と考えてしまいます。レプリカの戦時型戦闘服M43は必ず、「M43用」としてカイルホーゼがセットされるのもその現れでしょう。しかし国家の存亡を賭けた軍需品生産においてはより現実的、物理的な要因が事実を支配します。この仮定を支持する例をもうひとつあげると、戦時型野戦服M44短上衣と対応するとされるトラウザース、裾を紐で縛れて、腰ベルトが取り付けられたルントブントホーゼです。かなり高度な資料でも現物ではなくイラストで紹介しており、また30年以上の経験をもつコレクターでもいまだ入手にいたっていない、という事でもわかる超希少品です。このトラウザースに対する近年の欧米のコレクターの一般的な考え方も、M44短上衣に対応するトラウザースとして、あるいは関係なく、予備的に設計されたもので、生産数は絶対的に少ない。ほぼ開発行為そのもののみの存在、というものになっています。実際にM44短上衣を着用している当時の写真はトラウザースはカイルホーゼまたはストレート、というものがほとんど、のはずです。このことからも、カイルホーゼは他の国の軍隊のズボンが一般的にそうであるように、戦後民間で使用されて損耗した、というばかりではなくて、「もともと」当時の生産数が少なく、ある一定の数を生産したあとはストレートにとって替わることはなかった、仮説は証明できないとしてもかなり現実的、といえます。ここでは「ドイツ軍においては、上着とズボンは独立して考えられ、それぞれの理由で個別に生産された。上衣は資源などの理由から大変多くのヴァリエーションがあったが、トラウザースはとりあえず合格点のつく最大公約数であるストレートトラウザースがその総生産数のかなりの割合を占めた。」というのが考察の結論に近いものです。
極論に近いものかもしれませんが、コレクションの世界で、「さぁ、M43を手に入れた。次はどんなに高額でもカイルホーゼを入手するぞ。」というコレクターの、カイルホーゼをコレクションの対象として重要視する必要性がどの程度あるかという疑問がでてきます。コレクションの目的とは「当時の兵士が接していた物品の回収と再現、そして保存」と定義します。だとしたら、野戦服のコレクションで上着とともにあるべきものが、通常のストレートトラウザースであると考えれば、そしてカイルホーゼを当時の「戦時型・新型」トラウザースながら多くの兵士には行き渡らなかった、と考えれば、高額な予算をカイルホーゼに探求に費やさなくても、良いのかもしれません。事実、欧米では上記のルントブントホーゼはM44はコレクション対象にしているのだけれど、この特殊トラウザースはコレクションにくわえる必要はない、というコレクターがかなり多数派を占めているのです。〜同様の考察によるドイツ軍装備Aフレーム、折畳みスコップの現代的理解とコレクションにおける位置〜
既述のカイルホーゼに関する考察を当てはめたいものが個人野戦装備のなかでも何点かあり、そのひとつがAフレームです。野戦装備のなかでも最終目標、入手困難度はトップレベル、そのためかなり以前からレプリカの製造も進んでいた、というものですが、これもその極端な残存数の少なさ、今日までに確認されているAフレーム着装の記録写真も非常に少ない、という事実から、カイルホーゼと同様の、「実際には生産量は非常に少なく、全員に行き渡ることはおろか、一般的な装備ではなかった。」という仮説を立てられると思われます。確かにAフレームはその個性的な使用法と強烈な印象の外観でコレクター、リエナクターともに希求する方が多いものではありますが、ただ見場が良い、かっこ良い、Yストラップの背面Dリングにつくのは背嚢では嫌だ、というのは戦後の我々の勝手な理由です。当時の写真でもAフレームの着装例は非常に少ないものです。また、Aフレーム着装例とされる写真も、その多くは注意深く見ると、Aフレームによるものではなく、紐をつかってYストラップのDリングとY字型の短い背中部分へ飯ごう、ポンチョ、さらに毛布を縛り付けているだけのものが多いといえます。この方法は実は正規の装備方で、「Aフレームはかなり初期から存在した」という主張の根拠とされている、ドイツ軍共通マニュアル「ライベルト」の被服装備の項目に掲載されている写真がすでにこの「紐留めシュトゥルムゲペック」です。お持ちの方はご覧になってください。Aフレームは主要装備ではなく、あくまで補助装備であり、歩兵の主要な背負い式運搬装備は常に背嚢であった、と考えるべきでしょう。もうひとつの考え方として、Aフレームは紐留めシュトゥルムゲペックの装備方が難しいので、装備方法の教育の手間を省くために造った戦時装備、と考える新設もあるほどです。この装備の入手と理解に情熱をかけるコレクター・リエナクターの方々の努力に水をさす意図は全くありませんが、欧米ではこういった理由で、Aフレームの希求度は下がってきています。最後に、同様の新しい理解をすべきと考えられているのが折畳みスコップです。これも第1次大戦以来のヨーロッパ共通規格であったストレートスコップを更新すべく採用され、すべてのスコップが折りたたみに替わるはずだったが間に合わず終戦となった、という感覚は既述の理由で現実的なものではもはやなくなっています。Aフレームほどではないにせよ、当時の写真での使用例は稀であり、終戦までストレートスコップを使用する兵士は多く、やはり生産コスト、折畳みスコップを製造できる技術水準をもつ工場の総数増加の失敗などから、絶対数は少なかったと考えられるようになってきています。その存在意義としては、このスコップのコピーとされるアメリカ軍M43スコップと同じく、折畳み式は折りたたんで小さくする、という目的よりも、折畳み−全展開の間にある、鍬(くわ)状固定位置にして、凍った地面を掘る能力を持たせたかった、という理由が有力です。これは折りたたんでも、実際にはそれまでのストレートスコップとそう長さは変わらない、という事実でも裏づけされるのではないでしょうか。〜ヨーロッパ出張中に会う機会のあった元ドイツ陸軍兵士との面談で得た興味深い話し、その1〜当時の兵士にインタビューを試みるのは、大変重要なことですが、注意しなくてはならないことが何点かあるとレコレクショヌールの担当者は考えています。まず、彼らはその時代に生きてはいましたが、私たちコレクター・研究者の興味のある題材には、当時は彼らはほとんど興味を持っていなかった、という点です。いろいろ質問をしてもまずほとんど我々の期待している答えは返ってはきません。なかにはコレクターの質問に答えるために、ミリタリア業者に「望まれる答え」を聞いていて、そのとおり答える元軍人もいるようです。まずは自分の聞きたい事項の切り口、方向性だけを聞いて、彼らに自由に話させるようにしたほうが 成功したインタビューを得る可能性は高いといえます。彼ら自身が私に語った例で、質問に対し所属部隊を答えたところ、「記録で確認したら、事実と異なる。あなたの間違いではないのか、と逆に苦情を言われ、閉口した。」というもの、また「大抵の質問者は戦車や銃器のことをあれこれ細かく聞かれるが、覚えていないことが多いため、困る。」という話も良く聞きます。とはいえ、私たちが求める被服に関することは嫌な記憶も少ないせいか、また身近なものであったことからか聞き手と話し手のコミュニケーションがうまく取れる例が多いようです。今回もこのコラムを読んでくださる方々に興味を持っていただけるような話が幾つかありましたので。ご報告します。質問はレコレクショヌールの担当者が自分であたり、注意深くドイツ語により行い、不明な単語は質問者・回答者ともに日本製の独和辞書を引きながら行いました。
話題1)ドイツ軍兵士の下半身の下着について−
コレクター間では以前より、「ドイツ軍兵士は野戦服の下には上半身の下着としてセーター、シャツを着るが、下半身の下着−現代のトランクス、ブリーフにあたる下着を着ない、兵舎で就寝する際は、もともと丈の長い官給品シャツの下端をまたに巻き込んで眠る、という説が語られていました。これに関しての質問に彼は「その質問は以前もされたことがある。」としながらも、以下のように答えてくれました。―戦争後期のことだから、戦前はわかりません。しかし我々はホーゼ、ズボンの下には個別の下着を履いていました。白またはグレーの薄いウール製のものでした。部隊で支給された下着もありましたが、白もグレーのものもともにあり、また支給数は多くなく、また支給されるたびに少しづつ違っていたような気がします。(と覚えている、という表現)私がはいていたのは官給品でなく、自分で買ったものでした。また家族が差し入れてくれたものも多くあり、余分のものは部隊内でわけあいました。サイズの心配がそれほどなかったからです。(この点後述)この長い下着は足首、くるぶしまであるものです。同じ部隊の誰もが大体同じものを着ていました。現代の下着と異なるのは、サイズ設定がきっちりしておらず、大体のサイズで履いて、ゆったりであったことです。野戦ズボンと一緒になんとなく腰のあたりに留まっているものでした。ある程度上等なものはウエストサイズが調整できるようになっていましたが、現代のものと異なり、ゴムなどは入っていませんから、腰の後ろにある紐で縛るようになっていました。−
以下、最近の研究者の考察と意見です。兵士の健康管理にはかなりの後進国でも細心の注意を払うことから、夏服でもウールの服を着るヨーロッパの軍隊(ドイツ軍でも夏服はフェルトブルゼ野戦服を着た状態、冬服は、というとこの上にコートを着た、あくまで状態の話で、ヘリンボン綿製被服は作業服です。)では、下着を着ない、という要素は実際には理解しがたいものです。ただ、この老人がたまたま口にしたのは、「現代のような短い下着ははかなかった。」とういうことでした。この下着をはかない、という誤解はこの下着の形式の違いを口頭インタビューかまたは記述文の翻訳で誤ったのではないか、というのがドイツ人やフランス人研究者の意見でした。ヨーロッパ式のズボンと下着の関係は、外装と内装という感覚であるようです。用便の話しで恐縮ですが、用を足す際にヨーロッパ人は@ズボン、Aパンツとおろす我々と異なり、ズボンと下着を一挙動で同時に降ろし、腰を降ろして用を足すとの事です。当初より野戦服として設計されている戦中形ズボン、カイルホーゼには、またやはり戦時下で開発された綿製熱帯服のズボンには腰上部、内側に上に向かって延びていてスナップで閉鎖する小ストラップがありますが、これは下着を固定するもので、下着側にはこれを受けるループがあるものもあります。また、私物が多かったということから、現在の私たちの目に触れるものが少なく、存在しなかったという誤解にもつながっているのではないでしょうか。この点は以前このコラムで書かせていたズボンの私物、の話にも似ていて、絶対共通の官給品しか視野に入れないとしたら、その他のものはコレクター・研究者の目にとっては「ただの古着」です。最初から識別するフィルターが存在しないわけですから、いかにそのアイテムが絶対無比の官給品とともに戦後の年月を生き抜いてきていても、その目にとまることはありません。また仮に下着の官給品があったとしても、その数はとてもすくないのではないでしょうか。この点はきちんとした、コレクション対象になりうるものの少ない、M43帽にも似ています。ご自身で海外でコレクションを探すコレクターがみな驚かれるのが、M43帽の数の少なさです。これも当時生産された野戦服よりも実際の生産量がかなり少なかったのではないかという考え方が最近とても増えております。現代のコレクターは我々日本人にかぎらず、国家は必ず兵隊に人数分、ものを作って与えていると思い込みがちですが、実際にはそうではないことが多いという例でしょう。
〜ドイツ陸軍野戦ズボンのコレクションをめぐる現状状況〜
実物被服コレクションにおいてはほとんどの場合、ズボンの残存量と流通量が上着のそれに比べて少なく、上着を手に入れたコレクターがズボンを入手するために時間とお金をかける、ということが多く起こります。ベトナム戦争コレクションでだれもが経験する「ERDL、リーフパターンのサイズがミディアムのズボン」に関する希求度、のようなものを想像なさってください。ドイツ軍野戦服とともに着用されるズボン(官給品)は残念ながら特にその傾向が強く、フェルトブルゼ20着に対し、程度を指定できない状態でのズボン1本という状況です。レコレクショヌールによせられるお問い合わせ、ご質問でもドイツ軍ズボンに関するものは多く、「私は野戦服を10着所有しているのだけど、ズボンは1本もない。」あるいは「実物って、見たことがないのですが。」というものまで、ミリタリアの「ズボン飢饉」はWW2ドイツ軍がその最たるものといえるでしょう。流通量は大変に低く、欧米のミリタリアショーでは会場と同時、または業者のための早期入場時間内ですでに「あそこのブースにズボンがある。」ということが話題になるほどです。フェルトブルゼ、野戦服の海外での相場がドル、ユーロともに4桁、1000ドルないし1000ユーロが最低ライン、であるのに対し、ズボン藻同じくおおむね800ドル・ユーロです。「大したことないではないか。」といわれるかもしれませんが、上衣には、肩章その他の徽章の価値があります、しかしズボンにはそれがないどころか、状態の指定もなかなかできません。常に売り手市場で買い付けに行くレコレクショヌールの担当者はいつもズボンには泣かされます。(☆ところが将校用乗馬ズボンにかんしては状況は全く逆です。海外どこでも、場合によっては日本国内でもオーバーコートなみに残存しており、私物がほとんどすべて、ではありますが、購入機会、価格ともに買手市場です。)
WW2ドイツ軍ズボンの特色
WW2ドイツ軍ズボンについて考えるときに必要なことは、ドイツ軍ズボンは平時・野戦時にフェルトブルゼとともに着用されてはいるが、この両者、野戦服上衣とズボンはペア・つがい・そろいではない、ということです。?と一見わかりにくい話ですが、フェルトブルゼは当時、新生ドイツ軍が装備と一体化したともいえる新発想のもとに創った画期的な被服でしたが、これと一緒に着用されたズボン、(ドイツ語名Hose、ホーゼ)はこれといって新しい発想のない、基本的には帝政時代、第1次大戦と変わらないでした。当時の民間人ズボンとそう変わらない裁断で、名称もフェルトブルゼ―「野戦軽上衣」と異なり、フェルト・ホーゼではなく、単にホーゼ、ズボン、です。上着とズボンが別々に開発される、または改良・新規開発の過程に時間的なずれがある、というのは軍被服史ではごく普通のことです。例としてWW2アメリカでもM41フィールドジャケットとともに着用された野戦ズボンも以前からあるウール生地でこれといった新構想はありません。また新世代の野戦服として研究する方の多いM43フィールドジャケットと、そのズボンも実は開発時期にずれがあってM43の名称をもつ上衣に対してズボンは単に「戦闘ズボン」の名称のみでM43の名称は冠されていません。実際にはドイツ軍にとっての第2次大戦型新型野戦ズボンはM43野戦服と一体化されて考えられている、「西洋糸巻き型ズボン」カイルホーゼの生産まで、ないのです。
しかしながらこのことは初期のM36フェルトブルゼとともに着用されたズボンが濃いグレーであったことから、「上着とズボンで色が違う」ということにドイツ軍コレクターは慣れているようです。ベトナム戦争アメリカ・コレクションやWW2日本軍コレクションを行う方々が「上下の色にずれがある」ことを気にしすぎてコレクションに支障をきたす、という例をよく見ますが、ドイツ軍コレクターの場合はこの心配事からは開放されているようです。実物WW2ドイツ軍ズボンの構造と真贋判断の視点
偽札を創るものは5000札のような数の少ない紙幣を狙う、といいます。ドイツ軍ズボンでもその例は多いようで、残存数の少ないドイツ軍ズボンは以前より複製が多くありました。これには以下の3種があります。
@帽子類などと同じようにコートなどを潰して創ったもの
AWW2から60年代までの他国軍のものを改造して似せたもの
B古い複製品(嫌な言葉ですが「オールド・ヤンケ」)に手を加え、それらしく似せたもの。☆ボタンを実物に変える、裏地を古いものに張り替える、など。
しかし、皆様がすでに持っておられる上衣やヘッドギア(帽子類)関する判断基準を適用すれば、上記のような悪意ある、騙し目的の複製は見分けられますので、それほど心配は要らないはずです。いまのところ、だまし目的で、戦車搭乗服や一部の野戦帽などのようなレベルで創られたズボンはないようです。しかしながら、お電話やショー会場で承るご相談では、自分のコレクションに加えたズボンに関するご相談がとても多いのも事実です。また、レコレクショヌールの担当者が自分のコレクションとして残しているドイツ軍ストレート・ズボンは「ぼろっぼろ」の穴だらけのものです。擦り切れて露出した芯部分をサンプルとして、各部分が傷んでくるとどのように傷んでくるかなどを、真贋判断の際にもう一度見るために、このような例を手元に置いています。それほど、我々も以前ズボンについては、規格どおりの官給品、というものを手に入れるには様々な困難を強いられてい
ました。
以下に、実物のズボンの構造を列挙しながら、当時の実物を求める際にレコレクショヌールの担当者が注意して見る要素を列挙します。
WW2ドイツ軍ストレートズボンはブレース、ズボン吊りを使って着用するごく一般的なストレートズボンです。腰部分にはサイズを微調整するためのズボン本体と同一の生地で出来たベルトがあり、これは通常2本爪の金属バックルで止められます。このバックルは微調整と同時に、@シャツのみを着たときAシャツとセーターをともに来たとき、サイズを変えるためのものでもあります。以前は、この金具をたよりに真贋を判断することがよくなされていましたが、このバックルは部品として当時ものが戦後もたくさん残っていたこと、また、ヨーロッパでは共通規格のバックルで東欧諸国では現在でも類似した金具があるため、この方法は効果が期待できません。
横から見るとズボンは腰の部分だけが上に伸びているクラシックな形です。この部分が幾つかの生地を貼りあわせて創られており、これが個々のズボンで少しずつ違います。これは大量生産として生地を無駄にしないことが目的で、鋭角に飛び出したこのズボン腰部分をそのままカットしていたら、生地としてが使えない小さな生地の破片がたくさん出てしまうことから、これをしないことにより、何万とズボンを作った際には大きな効果を得ます。これは実物肩章の裏部分にも適用されている措置で、固体によっては生地の色が異なるものすらあります。ポケットは腰前部に2つ、背面右側に1つ、そして小型ポケットが右前部にあります。大型ポケット3個は切り込み式の単純なもので、容量・耐久性ともに上衣のそれに劣るものですが、この切り込み開放部分は片側に2枚づつ生地を使い、さらに内側にも1枚あて、非常に強い力のミシンをつかって作っています。おそらく、ズボン全体で最も注意が払われて作られている部分でしょう。これはポケットがボタン1個の単純な閉鎖法方ながら、中に収めたものを紛失しないためと、使用によりポケットの縁が擦り切れて、閉鎖が甘くなることを防ぐための措置です。既述のレコレクショヌール所有の「ぼろズボン」も、この部分だけはしっかりと原型を保っています。
小型ポケットの上には懐中時計の鎖や紐を留める鉄の環または本体と同材質のループがあります。上衣の裏地が染色して化繊を混ぜたりしているのに対し、ホーゼの裏地はその多くが単純は白の棉が多くなっています。ドイツ軍が服の型崩れを嫌う特色はホーゼにもでています。上衣に使用されるテープ状の芯が前部開放部、前立に内蔵されており、この芯は懐中時計を入れるとされる前部右側の小型ポケットの内側にも内蔵されており、このポケットが使用されるにつれ傷んで来て、「垂れ下がる」のを防ぐようになっています。この時計ポケット裏側の芯をホーゼをひっくり返して見るのが、最近の真贋判定の要素、となっています。しかし、海外での買い付け時にこれをやっていると「あのなー、君たち日本人とアメリカ人は ズボンをみると必ずそれをすっけどさー。それって100%確実じゃないよ。」といわれたことがあります。(売り手)「その芯って他の物と共通のものがあるのだけど、わかる?」(レコレクショヌール)「M43帽のフラップ部分の内側。」(売り手)「そー。よく知ってるね。でもその43帽の芯も、必ず入って入るわけじゃないだろ。山岳帽にはほとんど入っていないしな。みんなそうして、この芯の有無にこだわり過ぎて本当に良いズボンを見逃しているよ。」といわれました。とはいえ、服と違って残存数が少ないため、真贋に不安をもつ人が多いのもドイツ軍ズボンのコレクションに関する共通項です。この芯の有無はかなり信用度の高い判断基準であるといえます。
フェルトブルゼと、複製品のヴァリエーションが星の数、ともいえる兵用肩章の判断に効果を発揮するドイツ軍独特のボタンホール、「キーホール、鍵穴型」の判断と高い密度の糸使用量を見ることはズボンの判断でも大変有効です。上衣とほぼ同じボタンホール数、前部開放部分に大型1個、小型4個、左右のポケットの閉鎖に小型、計2個そして右後部のポケットの閉鎖に1個。使用されるボタンは前部の1個を除いてすべてがフェルトブルゼ上衣にも使用される、@そでボタン、A襟カラー脱着ボタン、B右前下部内側の包帯収納ポケット閉鎖ボタンと同一のもので、「ガラス」ボタント呼ばれる4つ穴の積層ボタンが主流です。ズボンの上部末端、前部開放部のボタン側(ボタンホール部分の受け側)、そして背部ベルト事態は、生地をきりっぱなしたままの処理です。良質な、密度の高い生地ならばこそできることで、ここが現代の生地などでつくったものでは、すぐにほつれてしまい、糸にもどってしまうことから、複製品では折り込んであるものが多くあります。(☆突撃砲、黒搭乗服のズボンはこの部分が切り離しではなく、折り込んであるものもあります。)
ホ―ゼ・ドイツ軍ズボンの私物の話
アメリカのコレクション市場では全く聞かず、ヨーロッパのコレクター間でたびたび話題に上る話で興味深いものがあります。WW2被服の私物、というとまず思い浮かぶのがアメリカ軍M41フィールドジャケットの系列で将校用が自費購入した、とされる腰ポケット付き、肩章付きの「将校用」また脱着式裏地の付く「ライトウェイト」(このコラムの話題からは離れすぎますが☆☆このタイプ、最近になって実は戦後の民間向けだった、という話がアメリカのコレクション市場を中心に流れていますが、まだ未確認です。10年位前まではタンカースジャケットの私物、というものがよく流通していました。今ではこれはWW2当事のものではなく、朝鮮戦争時に「先の大戦で使用されたあのジャケットの復刻」という触れ込みで民間で生産され、朝鮮半島への出征将兵も自費購入した「タンカースタイプ」であった事が当時の生産業者の広告などから明らかになっています。)さらに日本軍だと旧型の立襟軍衣を改造して折襟にしたり、襟ホックを2個にしたりした下士官物とも将校物とも言われる私物上衣、そしてドイツ軍では将校フェルトブルゼ(4ポケット上衣を意味する)は通常私物オーダー品であることから、戦車搭乗服の将校用私物などが思い浮かびます。しかしこの例のすべてが「うわぎ」、上衣であるのに対して、ドイツ軍では「ズボンの私物」がとても多かった、という事実があります。これはドイツ人やフランス人コレクターからの証言ですが、大変多くのコレクターから来る話であり、後述する事実とも符合する点があるので、伝聞ファンタジーとして処理すべきではないものです。ドイツ軍兵士にとって、上衣、フェルトブルゼは階級章やバッジ類のプラットホームとして、他者からの見栄えを気にするものでした。せっかく生産当局がフェルトブルゼに細かいサイズ分類を採用したりして気安さを考慮しているのに、腰を絞って丈を詰めたり、袖を細くしたりして当時の感覚で粋であるとされる改造が兵士たちよりされることが多かったのは知られているところです。上衣については苦しい思いをしても見栄えを気にしていたドイツ兵たちが「気安さ、楽さ」を求めたのはズボン、ホーゼでした。当時の写真で、上衣はぴったり、はっきり言うとぱちぱちで不自然なフォルムなのに、ズボンはゆったり、はっきりいうとだぶだぶ、という例が多いですよね。余裕のある兵士たちは自費で私物のズボンを買って、可能な場合はそれを履いていた、ということだったようです。上衣を着ているのは「仕事中」、「オフ」では着ているとしんどい上衣を脱いで、これも私物の多いセーターとズボンになった状態で、良い品質で楽なズボンを着用したいというのが兵士の希望だったようです。また、腰ベルトが着用できたりして、用便の際に便利、というのも私物ズボンに求められる要素だった、という証言もあります。被服の快適さを求めるのなら、上着よりもズボンが楽な方が、というのは現代の我々でもわかる様な気がします。当時の写真に加え、以前の海外のコレクション市場で上衣、フェルトブルゼは誰でもそれとわかる官給品が流通していたのに、ズボンというと、今我々が納得する、かっちりした官給品の何倍か、確かに生地は当時のものなのだけど、裁断が違う民間風のズボンが海外からよく送られてきました。われわれはそのたびに返品したり、「欧米人は上衣に比べてズボンの真贋の判断基準が甘い」と腹を立てたりしていのですが、今から思うとそれらの「変なドイツ軍ズボン」への遭遇率が余りにも高かったことから考えて、それらすべて、とは言いませんが、そのうち、かなりの数が実際に当時ドイツ兵士が着用していたものがあったのかもしれません。とはいえ、独自性が重要で個性が認められる美術品コレクションと異なり、ミリタリアコレクションの世界では共通の構造、普遍性が尊ばれます。そういった亜流ズボン類は当時我々が私物の存在について考えていたとしても、自分のコレクションには残さなかったかもしれません。それとさらに当時あれだけたくさんあった私物ズボン、最近めっきり見なくなりました。これもコートのように複製野戦帽の材料になっているのか?と気をまわしてしまいます。
〜WW2ドイツ軍コレクション―コレクションの判別―EK1とクラーゲンシュピーゲル/襟章〜
ドイツ軍WW2コレクションのカテゴリーに関するお問い合わせの対象物で最も総数が多いのは、日本全国いずれのお客様でも,必ずM35などのスチールヘルメット、シュタールヘルムに関して(現在の流通量、遭遇機会の頻度、価格など)です。(ヘルメットのコレクション現状については現在準備中の文章がございます。近日アップします。)次いで野戦服フェルトブルゼ、さらにヴァッフェンSSの徽章類の単体での入手に関する同様の質問などが続きますが、お一人のお客様との通信・会話時間の長さで最も長いもの(お客様のご質問を聞く時間とレコレクショヌールの担当者がご説明を申し上げる時間が最も長く、通信のやりとりの往復数が一番多い)のは、鉄十字章1級、そして兵用襟章に関するものです。さらにこの2点に関することで特に興味深いのは、ご質問をおよせ下さるお客様の多くが長いコレクション経験をもつ方々であること、また、すでに自分のコレクションに上記2点をお持ちの方々であるということです。
鉄十字章1級(以下EK1)
EK1の複製品の歴史は長いものです。欧州反攻作戦、上陸作戦以降、連合軍勢力下の徽章類生産業者などは生活の手段として、「ドイツの敗戦以前から」お土産品として「新しいお客のため」に鉄十字章生産を続けていたという話もあるほどですから、どこからどこまでを当事の実物とするかは容易ではありません。しかしながら戦後60年が経ち、望まれる実物の条件、鑑定法、という単純な言い方は避けるにしても、判別法は進歩してまいりました。鉄十字章は鉄だから、磁石を付けてみる、などという前近代的な論はもう日本には存在しません。(EK本体は真鍮製黒色塗装もありますから)現在まで、以下のように様々な「判別法」が提案され、実践され続けてきました。3ピースで出来ているEKの表・裏の合わせラインを見て判断する、縁のぎざぎざ線の感触、かぎ十字や1939の盛り上がり具合、などなどです。しかしこの鑑定法は北米・欧州等各地で意見の相違があり、また各外国人「鑑定名人」により、個々に唱える説が全く異なる例すらあります。
レコレクショヌールのお客様のうち、すでにこれら鑑定法に独自の認識をお持ちの方は、背面のL番号(これは刻印されていないものもあります。)を指定しての入手依頼、またかぎ十字や1939の字体の限定、背面ピンの形、またはあえて状態の悪いもの、などを細かくご指定なさいます。レコレクショヌールはこれらのお客様のため、「第2、第3番目のまたはその方の理想の鉄十字章」を発掘して参りますが、問題は鉄十字章を初めて入手しようとする方々、これから鉄十字章1級をコレクションに加えたい、そして今手元にある鉄十字章に満足できていない、という方々のためのEK1の選択の基準です。しかしドイツ軍金属インシグニアのコレクションを目指す方は誰もが、特にEK1の入手を決心した方はだれもが「騙し目的のレプリカの恐怖」につきまとわれているのではないでしょうか。複製金属徽章のうち、製造時期が古いものはよく実物の印象を受け継いでおり、また素材が当事のものに近いと実物に類似した経年変化をするので、これを観る者に大きな不安を与えます。レコレクショヌールがEKの判断で重要視するのは、正面よりも背面です。これはある程度いずれのWW2ドイツ金属バッジ型徽章でも共通することですが、固定用垂直ピンに「一定の法則」をあてはめ、これに適合するもののみを、販売目的品として購入するようにしています。まず「西洋糸巻き」状をしている固定ピンの基部の工作水準が高く、ピン先端をもって左右に動かした際に、大きくぶれないこと。ピン自体の仕上げ、角の部分の磨き上げの状態。ピン基部とピン閉鎖の際のフック固定部分基部の溶接工作水準。これらは見栄えなどとおおいう観点とは一切関係なく、この部分の工作作業には工作機器などの初期投資に関係なく一定の工作者の技術と、製造コストがかかることです。表面、表側に関しては、60年以上前と現在では、表面の処理はほとんどが機械作業が多いため、それほど視覚的にも変わりません。しかし背面―このピン部分周辺の処理は人間の手作業部分が多いため(ピンの整形、回転基部の擦り合わせ、溶接など、どれも手作業です。)戦争中と現在では大きく異なります。現代では加工技術の向上が災いして、当事の時計部品のような印象の背面ピン周りを再現している鉄十字章を製作していては、高額になったといっても海外で日本円で¥20000代半ば程度の鉄十字章の複製する場合は利益がでません。そしてこれを人件費の安い地域で行おうとすると、今度は表面部分の仕上げが粗くなる、という結果になるため、鉄十字章の表と裏はともに背中あわせなのです。とはいえ、複製の可能性が心配されるインシグニアについては、ひとつでも多くの例を見ること、そして早く「自分にとって」、そして「多数派のコレクターにとって」の理想形はどういったものか、ということを把握するのが、人に意見に惑わされるよりも安全で、確実な、満足のできる鉄十字章へのアプローチです。「私は自分のコレクションは手放さない」という方は多いのですが、上記のような観点でレコレクショヌールが選んできた鉄十字章1級は転売する際に買手の方が手にとって見た後は簡単に納得して購入してゆく、ということもよく伺います。襟章
コレクター間では、肩章や国家章の実物性の水準にはかなりのこだわりがもたれているのに、襟章は真贋のレベルがあまり高くなく、20年くらい前のレプリカだと「グレーゾーン」とされていることが何故か多いようです。現在の日本のコレクターのレベルでは、肩章や国家章は実物としてコレクター間に出る限り、すこしでも甘いレプリカならば決して容認されることはありません。むしろ少数派、私物の肩章などは、当事の実物であるのにかかわらずかなり過酷な評価を受けています。第2次大戦時代の陸軍襟章は、第1次大戦・帝政時代には近衛兵により着用されていたもので、ヴァイマール時代以降は陸軍兵士は全員が近衛兵なみの高水準であるであるという意図を込めた重要なものです。実は現在水準を達成する襟章は肩章・国家章に比べて格段に入手機会は低く、国内はもとより海外でも流通量は低いものです。ところがこの襟章の判定は甘いもので、以前は定規を持ち出して襟章の中央部分の太い線(これはプロイセン時代の制服の胸部分折り返しの飾り「ボタンホール」を模したものなのですが)の長さを測って、長い、短いなどと判断基準にしていました。しかしこれでは過去と今現在には仮に有効でも、将来にわたっては不確実ですし、またこの織り出し徽章類はミシン縫製によって(?わざと?)長さが変わります。レコレクショヌールが襟章の判断で重要視するのは、襟章を指2本で挟んだときの触感による襟章の厚み、素材を感じる「すべり具合」、本体の凹凸―特に「中央ライン」の盛り上がり具合です。初期兵科色入り襟章、動員時全兵科共通襟章では特にこの傾向は顕著で、指で触るとはっきりと解ります。戦時型グレーの襟章では織り機器が進歩するためか、盛り上がりぐあいは減りますが、はっきりとその盛り上がりは認知できるものです。これに斜めにひっぱった際の「伸びぐあい」が加わるのですが、これは襟章が服に縫い付けられいる場合には使えませんので、触感重視の判断基準は大変重要です。現代の「織り」―ウェイヴィングの機会は生産コストを追求しており、安い糸を使って均質に、強度のある織り製品を生産するため、当事にくらべて格段に進歩しています。むだな盛り上がりなどはなくなり、ほぼぺしゃんこな、平坦なものになっています。また、化繊糸の変化により、大変滑りやすい触感も現代の織り製品に共通の特徴でしょう。更にもう1点、織り出し徽章は未使用品と使用品ではその触感が大きく異なります。この両者の相違を把握することが望ましいといえるでしょう。このようにEK1、襟章ともに「視覚」に頼ると判断しづらいものであり、さらに視覚によって惑わされることが多く起こるものです。触感による判断は眼をつぶってもはっきり解るわけですし、本当に骨董品の判別のような緊張した感覚をもたなくてはならない反面、判別の結果はかなり確実で、慣れると楽しいものです。
〜WW2ドイツ軍コレクション―ドイツ軍野戦装備いまだ残存数の多いアイテム〜
「WW2ドイツ軍ホルスターコレクションの現状」の関連事項としてコレクションとして、一部のドイツ軍野戦装備の流通価格がそれほど急激にあがっていない、という点と、「いまだにコレクション市場に多く残るWW2ドイツ軍関連コレクション」の内容について、さらに具体的に知りたいというお問い合わせを多く頂きました。前回はホルスターに関連してのご報告を補足するための短い文章であることから説明が不十分であったため、別にこのコラムを作成しました。以下はレコレクショヌールの担当者が欧州・北米での直接仕入れの際に実際に見たもの、また外国人販売者が通販での購入を希望して先方から送付してくる売却希望品リストの内容、さらに日本国内で日本人コレクターが手放す場合の品目内容を観測していて、ある程度の確信を得たもの、または他のディーラーと、そしてご自身でも輸入をなさる、お客さまであるコレクター諸氏とも合意を得た内容です。いままでレコレクショヌールのサイトでは、「珍しいもの、希少品」についてばかり述べて来ましたから、勢い、「その固体がコレクション対象なら、入手を急いだほうが良い」というような印象を(あくまで印象です。実際にはコレクションでは急いだほうが良い、というケースはごく稀です。)与えてしまいがちな流通状況分析・コレクション最新事情といった内容ばかりでした。そこでこの機会に「急がずとも、まだ入手機会はまだまだありそうな、ドイツ軍野戦装備コレクションのんびり可能品リスト」とその情報、また共通して考えることのできる判断基準をつくってみようと考えました。
WW2ドイツ軍コレクションで、野戦装備の一部は戦後60年経った現在でも、「なぜまだこんなに残っているんだろう」と不思議に思うほど流通量が減らないものがいくつかあります。これは終戦後、すぐに冷戦下で再軍備をしなければならなかったドイツが、WW2時代に野戦装備を廃棄することなく保管していた、ということと、ドイツ軍が倉庫などをもっていた被占領地の国々がみな、もともと一定の水準を持った欧州の独立国家であったことから、戦後の自国軍再建に、そして多くは警察組織でこれらの装備が必用だったため、廃棄しなかったなどの理由があると思われます。
残存数が多く、いまだに流通量が多い野戦装備は特にその傾向が顕著なもので、ご紹介したいものは3種あります。この3点に関しては、ぜひとも海外インターネット(Eベイ、マニオンズなど、このとおりのスペルで検索すればすぐに見つかります。)などで欧米のミリタリアショップ、ディーラーなどのオファー、商品構成をご覧になってください。3点のうちの第1は、ブロートボイテル、英語でいうブレッドバック、雑のうでしょう。WW2ドイツ軍雑のうは、大きすぎず、小さすぎずで、民間でも使用されることができるサイズであったことから戦後棄てられずに使用されることが多かったこと、他国の袋式装備に比べて、壊れる部分が少なかったことから残存例が多いと思われます。海外のショップ、コレクターの個人販売では大抵、いくつか雑のうの販売品を持っています。また、流通原価も各国通貨で5000円から、せいぜい30%程度アップで10000円するものはあまりありません。レコレクショヌールの担当者が自分で必死にコレクションをしていたXX年前でも¥8000、今でも¥8000か、もっと安価か。20年経っても流通価格の変わらないコレクションは、他国軍コレクションではまずありません。この雑のうでコレクターが好む面白い特徴があります。コレクションカテゴリーでも、ビギナーはまず初期型コレクション、また人気が集まるのも初期型が多いのですが、ドイツ軍雑のうに関しては、後期型、それも共通オリーブグリーン棉素材(軟式リュックザック、袋式背嚢のほぼ100%が使っている、あの素材です)の両脇2個のベルトループ部分に革補強のないものを好まれる方がおおいようです。これは、初期型は素材の質感がいくつか存在し、色調もグリーンからグレーと、様々であることから、「共通規格」が軍装備らしく、安心できるということから、この後期型、多くはRB番号入りの雑のうが好まれるのかも、知れません。良い雑のうなのに、この質感に違和感があって、コレクターに好まれずに売れ残っている雑のうを結構多く見かけます。
残存数が多いものの第2はマップケースです。これはとにかく多い。残存理由は雑のうと同じでしょう。これも日本軍コレクションで、各地の神社の骨董市で将校用「図のう」を多く見かけるという現象と似ているのかもしれません。しかし興味深いのは、残存品は本来は開戦ともにライフル弾薬ポーチのように、黒く染め直されるべきであったはずの、茶革のマップケースが多いことです。ベルトやホルスターに色の合う、黒革製は少数派で、茶皮との黒革の遭遇率対比は茶革10点に黒革1点くらいです。当時の記録写真を見込むと、白黒写真でも黒革と茶皮の色の違いは慣れればすぐに解ります。使用例は黒革が多いのに、不思議なことです。価格的には原価で8000円から1万円台前半、これもXX年前はマップケースはどれも1万5000円、という妙な国内価格があった当時からそう変わっていません。
最後の1点はちょっと他のものと状況が異なって、難しい点があるのですが、水筒です。31年型、などと呼ばれる水筒って、第2次大戦時代になってトリンクベッヒャー/カップを水筒にのせて固定できるようにしてから、ドイツ軍野戦装備の代表格ともいえますし、値段も手ごろ、また時代によって初期型(アルミカップ、アルミ本体)と後期型(鉄製カップ、アルミおよび鉄製本体)とは印象ががらっと変わることから、ヴァリエーション違いが楽しめますし、その外観から受ける印象も、ドイツ軍装備の共通事項黒革と、優しい視覚効果のフエルト廃棄ウールの組み合わせで、軍隊の装備にしては可愛らしいことから、人気のアイテムです。先ほどのマップケースと同じく、野戦装備がない、ないといわれる日本軍ですら、程度は別としても水筒の残存度は高いものです。ドイツ軍水筒も、海外のミリタリアショップではよく天井から複数下げてあったり、リストでもドイツ語でFeldflasche,(野戦びん?)、イギリスではwaterbottle、同じ英語国家なのにアメリカではcanteenとよくコレクション販売品リストにはずらりと水筒が並んでします。何度もいって申し訳けないのですが、レコレクショヌールの担当者が苦しみながら収集をしていたコレクション暗黒時代のXX年前にはドイツ軍水筒はやはりどれもおおむね1万5000円位でした。ただこの水筒だけは、数が残っているドイツ軍装備の中では、ちょっと注意が必要です。
水筒は数が残っている、ということでこのレポートにリストアップしましたが、実物ドイツ軍水筒には大きく2種があります。第1は英語圏で「メタルカップ水筒」と呼ばれるもの、第2が「コーンカップ水筒」と呼ばれるものです。メタルカップは、断面が楕円で、初期のものはアルミ製で黒色塗装、後期は小型化して鉄製、グリーンの塗装、ともに折りたたむハンドルがつきます。コーンカップは「樹脂カップ」、「ベークライトカップ」と呼ばれる円錐形(コーン)の黒いプラスチック(クンストストッフ)製で、この形式の水筒にはこのカップを固定させるための、台座がフェルトウールカバーの首部分に付き、水筒の背面には0字型、ドーナツ型のウール素材がつきます。この2種の水筒の形式、ともに戦争当時の実物で、使用例も、実写写真もあります。ところが、実際の使用例はほとんがメタルカップで、コーンカップの使用例は少なく、さらに残存していて市場に流通している水筒の大多数がコーンカップ、という特性があります。したがって、このコラムの「まだ残るWW2ドイツ軍野戦装備」という目的からはコーンカップがイエス、メタルカップはノーということになります。どちらも当時の実物、水筒に罪はないのですが、入手を希望するコレクターは圧倒的にメタルカップを希望するのが実情です。さらに困ったことに、カップが紛失した水筒を再生するために、メタルカップ用の水筒にコーンカップを組み合わせている場合があります。ベークライトカップはカップ自体が単体で残存していることが多いため、(金属製カップはつぶれるし腐食します。さらに左の理由である程度傷んだ場合に、また使用できる状態でも視覚的に不快感があるため、廃棄・棄てられてしまうことが多く起こります)この組み合わせが発生するのですが、既述の水筒首部分の追加ウール部分がないのでコーンカップのすわりが悪く、ストラップを締めても、水筒にカップが安定して固定できません。写真で良く見る形式を希望するのはコレクター、リエナクターの常です。コーンカップは状態の良いものが残っているのに、余り人気がありません。ドイツで開催された販売催事で、幾つか水筒を販売していたブースで、ひとつだけあったメタルカップ水筒を買ったところ、ドイツ語で「ちっ、こいつもまた後期型(シュペーター・アルト)を買いやがった。」と舌打ちをされながら言われたことががあります。外国人ディーラーにとって、コーンカップ水筒は「売りづらいもの」であるようです。そのことから、私たちへ郵送やファクス、Eメールで送付されてくる販売希望リストには、前述のマップケース、雑のうに加え、コーンカップ水筒がいつも複数並んでいます。困ったことに、これらの販売者が、持っている水筒全てがコーンカップで、メタルカップ在庫はゼロ、とは限らないのです。リストを頻繁に送って来る(実際にはレコレクショヌールは実地検品・直接購入が基本方針ですので、送付リストは参考までにしかしません)ディーラー、個人コレクターに実際に現地であうと、メタルカップ水筒を持っているのです。「何故、これをリストに載せないのですか」と質問すると「えへへ、」と笑ってごまかされてしまいます。売りやすいものは通販で売り尽くさず、販売ショーや大きくお金が動く来訪販売のためにとっておきたい、ということでしょう。これは水筒に限らず、また他のコレクション・カテゴリーでもよくあるのですが、ちょっと釈然としません。国内では、コーンカップは比較的安価で売買されることが多く、またメタルカップに比べて状態が良いものが圧倒的に多いことから(なぜか未使用品の多くはコーンカップです)、コレクション初期の段階で購入するコレクターが多いのですが、コーンカップはいざ処分をしようとなったときに希望者が少ない、というのが難点です。そのため、コーンカップつきのものを購入する際には、できるだけ状態の良いもの、刻印のはっきりしているもの、「自分がどうしても欲しいと思うもの」を選択すべきでしょう。WW2ドイツ軍水筒関連事項1)水筒は、マップケース、雑のうと比べて破損しやすいことから程度の確認が必用です。革ストラップは乾燥、ひび割れが起こりやすく、また完全品、とされていても革ストラップが乾燥しきっているためカップが外せない、という場合もあります。さらにマップケース、雑のうと異なる点は、水筒とは「幾つかの部品による集合体」であることです。ストラップ、カップ、本体、フェルトカバーはばらばらに「2個いち、3個いち」で組み上げたものであることがあり、一定の共通性をもった固体を希望なさる方には注意が必用です。水筒、といってもカップが紛失しているもの、また、せっかく綺麗なのに、戦後使用により、背面のクリップが綺麗に切り取られている、という例もあります。これは部構部品数の多いコレクション対象の弱点です。ついで、ではありませんが、レコレクショヌールが水筒を選択する際に見る水筒の選択ポイントを以下にあげます。
1)ストラップの乾燥・ひび割れ
2)水筒本体の凹みの審査。
3)年号・製造コード刻印の確認/刻印の場所@カップ背面A水筒本体「首部分」、後期鉄製はさらに下部の「胸部分」Bキャップ上面(初期アルミ製のみ)Cクリップ内側Dストラップ裏側Eフエルトカバー内側(第2スナップ背面あたり、弱使用で消えていること多し)ドイツ軍水筒ってこんなに刻印がたくさんあって、楽しいですよね。
4)ウールカバーの虫食い、さらに水濡れ・乾燥の繰り返しによる縮みの有無。この縮みは要注意です。カバーを外すともうはまらない、カバー自体が引きつれて、裂け始める、といった現象が起こります。
5)ウールカバーのスナップの錆。この錆は要注意で、このスナップ金具は薄い金属のため、ちょっとした錆でスナップ事態が煎餅のように砕けてしまいます。このスナップにあるべきとされるマーク、俗称「手裏剣刻印」はこれがなくとも、実物性に全く問題ありません。むしろ戦後同一生産ラインで作られた水筒には「手裏剣刻印」が多くあります。
6)キャップ裏のゴムパッキンの状態−欠落、乾燥、ひび割れ、溶解の可能性ありさらにここ数年間で、水筒のストラップの複製品が現れています。キャップ−ストラップ本体−装着フックまでのもので新品状態、黒革で無刻印、最初に見たのはドイツで開催されていた販売ショーでした。10年ほど以前に出回ったスコップケースやYストラップの複製のように、酸化作用と起こす薬品を使って古色を出してあるので、注意が必要です。ドイツ軍ミリタリアは交換用パーツが残存している可能性がある、という特色を逆手にとった、コレクターの「こんなものがあったらいいな」という心理につけ込んだ、好ましくない販売商法です。伝聞では、以前の東欧諸国のいずこかで製造されているとのことです。
WW2ドイツ軍水筒関連事項2)
いろいろ良くないことを書いてしまった実物コーンカップ水筒ですが、最近海外のコレクター間ではこのコーンカップ水筒に関して深い考察が現れています。コーンカップ水筒は、メタルカップ水筒よりも若干容量が多いことに加えて、製法が上級なものが多い。未確認ですが、本体の厚みもあるもの、フェルトカバーの圧縮性が高く、密度が高いものが多い。また革の製法が上級なものが多い。これは初期だからということではなく、コーンカップ水筒は高度の製造水準を持った工場が製造していたのではないか。また、素材として、コーンカップのプラスチックは特に寒冷地では唇に張り付かないから水筒カップとしてはメタルカップよりも望ましい。(軍被服・装備についての考察の際、多くの場合で答えににつながる製造コストの点では、慎重に考えるべき。現代と異なり、メタルカップのほうがコーンカップよりも安価である可能性がある)さらにコーンカップ水筒には、メタルカップにある鉄製、低水準のカバーなどの戦時型が少ない。このことから、当初ドイツ軍は第1次大戦の水筒にカップを載せただけのメタルカップ水筒から新素材コーンカップ水筒へ変更しようとしていた、またはメタルカップ水筒からコーンカップ水筒の両者を採用し、競合させていずれかを継続使用、いずれかを廃止しようとしていた。小型メタルカップ水筒が後期型として登場したのは、既述の「意外と当時のヨーロッパではプレスで作るメタルカップのほうが低コストである可能性」と関連して、小型メタルカップ水筒を製造できる工場の方が多く、この水筒は技術が低い工場でも製造可能だったから、ではないかという考えです。これはフランス人のコレクターとの集いで、ドイツ人の半ディーラー・半コレクターが加わってみなであれやこれや話したときに「学説?」として主張されたものす。熱論が交わされ、い合わせたレコレクショヌールの担当者も大変勉強になりました。レコレクショヌールの担当者は上記の「コーンカップには戦時型がない」との意見に対して「コーンカップには戦争開始後に作られた布製ストラップがあるではないか」と意見をいったところ、反論され、「これは製造が中断されて、部品のみが残っていたコーンカップ水筒を新素材コットンで再利用したもの、という可能性はないのか」と再度反論されました。コレクター最前線、恐るべし。この理論と議論、書類や証言などの裏づけはありませんが、考古学的でちょっとそそられるものがありますよね。WW2ドイツ軍コレクション―ドイツ軍野戦装備いまだ残存数の多いアイテム被服の例
―ドイツ軍実物将校用コート
WW2ドイツ軍の「被服分野」で残存度が高いものは将校用コートです。特に質の良い高級素材を使ったものに限ってよく残っています。海外の大規模ショーに出店してくるミリタリアディーラーたちで、販売スペースを広くとって、被服ラックをずらりと並べている大型ブースで、そのラックを見てゆくとそのほとんどがコート、それも陸軍将校用です。こういった被服ラックを見ていると、大抵は販売担当が飛んできて、「どれが欲しい、安くするよ」とつきまといます。とはいえ、「コートが余っているのは、どこの軍隊でも同じ、WW2日本軍でもそうではないか」というご意見ごもっとも、なのですが、WW2ドイツ軍の場合、兵用コートが極端に少ないのです。気味の悪いくらい、少ない。これも人をだますために製造される43規格帽などになったのだ、という意見もありますが、帽子のウール素材とコートのウール素材は多くの場合、異なるものです。WW2ドイツ軍の兵用コートは減ってきている、といえるでしょう。
〜WW2ドイツ軍ホルスター・コレクションの現状〜
トラーゲグルテのコラムで申し上げた「WW2ドイツ軍の野戦装備で印象的なものは何ですか」のお答えについてYストラップ、と決めつけてしまいましたが、「ピストーレン・タッシェ。ピストルのホルスター、それも支給型P08、P38の型押し「ハードシェル」ホルスター」という方も多数派であったことでしょう。「ドイツ軍野戦装備は代用品・レプリカも多い」というリエナクトメントの楽しみの観点からしても、必要な代用品としてのホルスターのレプリカも古くからあり、生産されたレプリカの総数が多いのも、ピストルのホルスターでしょう。またレプリカホルスターの歴史は、「他国にはない独自の文化」ともいえる日本のトイガンの歴史とともに長いものとなっています。さらに ホルスターは、ミリタリアコレクターのみならず、被服・装備には一切興味のない兵器の研究者からも、さらには模型製作の熱中者からも求められる、魅力のあるものです。そのため、レコレクショヌールが参加する販売催事でも、ホルスターは全く初めてのお客様がお求めになっていかれるケースが多くあります。また、「使ってみて装備品を理解する」という視点から、ハイクオリティなレプリカを選定し、または逆に廉価な代用品をしっかり使ってどんどん更新して行く、熱心なリエナクター諸氏も、「ホルスターに関してだけは、実物が欲しい、他の装備と違って妥協したくない」というご意見をおもちの方が少なくありません。さらに「すでにクオリティの高いレプリカを所有しているのだけれどあるのだけれど、どうしても実物をコレクションに加えたい。」という方もよくホルスターをお探しになられます。開けると内部にピストルが当たってこすれた痕のある、実物ホルスターはドイツ軍ホルスターならずともエキサイティングなコレクション対象です。
コレクターがドイツ軍ホルスターの実物をインスペクション(コレクターが購入にあたって個々のアイテムを慎重に評価し、売り手の求める価格と状態・希少度(入手難易度)・遭遇率が適合するものであるかを審査する行為)する場合の項目・ポイントをまとめてみました。これはレコレクショヌールの担当者がドイツ軍実物ホルスターを選ぶ場合に気をつけている項目でもあります。
1)ホルスターの構成部品の中でもっとも破損・損耗が起こりやすい部分―ホルスターを装備ベルトにとめる背面ループ2本を審査する。ドイツ軍ホルスターには糸切れはそれほど起こりません。ありうるのは革の伸び(革の柔軟性はあるのですが、伸びてしまう、それと摩擦、擦れに弱いのはドイツ製革素材の欠点です。)、それとベルト上端があたる上部折り返し部分の擦りきれです。これは視覚判断のみでなく、必ず触感判断―触って、指の感触で判断してください。
2)ホルスター先端部。ドイツのピストルはP08にしてもP38にしてもフロントサイト先端部分が鋭角に尖っています。ホルスターはそれ自体の構造でピストルの重量を全体で支え、分散させるようになってはいますが、どうしてもこのフロントサイト部分に重量が1点集中してしまいます。そのため、ホルスター先端部分は内側から、つねにフロントサイトで削られている形になり、ある程度の使用状態ですと、指の爪で切込みを入れたように縦に貫通して切れてしまっている部分があることがあります。さらに、一見すると表側は通常通りでも、裏側は薄くなっていて貫通寸前、というものもありうるので、ここでのインスペクションは再び、「触感」を使って慎重にする必要があります。
3)黒革の場合は実物の染めが失われていても、靴用手入れ用具などで修復されている場合がよくあります。革の表側部分は削れたりすると2度と修復はできませんから、視覚と触感の両者を使って、削れた状態の悪いホルスターを靴クリームで黒光りさせて、状態を実際よりもよく見せているものを識別することが必要となります。
4)ドイツホルスターの状態審査で見過ごされがちであるにもかかわらず、重要な項目があります。ドイツの「ハードシェル」ホルスターは圧迫などにより平坦に型崩れしている場合が多くあります。これはこれは糸切れや表面の状態などと同じように、目を近づけて擬視しているとわかりません。1メートルほどの距離をおいて見て見る必要があります。装備品の場合は被服と異なり、この有距離観測はそれほど必要ない場合が多いのですが、ドイツ軍ホルスターに関してはこれが必要になります。しかし、43年以降のホルスターはそれ以前のものに比べて全体に丸みを帯びたシルエットとなっているものもあるので、この点は注意して区別すべきでしょう。
*ドイツ軍革製品全般について:ドイツ軍コレクションにおいてはどうしても現代のドイツ製品と印象が重なってしまい、「ドイツものは何でも品質がよく、優れている」という過大評価がされがちな傾向があるようです。ドイツ軍実物革装備の状態審査は、日本軍やWW2アメリカ軍等のコレクション対象物に比べて、判断基準を甘くされがちで、細かい部分を見ないで購入してしまい、あとでがっかりするコレクターの方が多いような気がします。レコレクショヌールの担当者もドイツ軍コレクションは自分のコレクションのなかでも非常に比重の高いもので、思い入れもとても強いものです。しかし長い間、コレクション対象品を見てきて、ドイツの革製品は他国のものに比べて優れているとは限らないという認識をもつようになりました。項目1補足括弧内のの摩擦、擦れに弱いことに加え、なめしの技術、項目4の型崩れ、項目1のホルスター先端部の弱さなどは他国軍のもののほうがよほどしっかりしており、例えば日本軍ホルスターなどのほうが構造・強度などが優秀である、と感じるようになります。さらにコレクター仲間やお客様と話していて、「人のことは言えない、我々もそうだ」と、よく話題に上ることなのですが、このドイツ軍コレクションへの審査基準の甘さは、ミリタリア・コレクションにWW2ドイツ軍の戦車、または銃器の強いインパクトをそのまま持ち込んでしまっているのでは、という推測がありました。ドイツ軍戦車や銃器の実際の性能には他国のそれらとは異なる優越性(それと神秘性?)がありますが、これと私たちがお金とエネルギーを使って成長させてゆくコレクションとは、現実に存在するものとして、全く異なるものです。ドイツ軍の使用していたものには、上記のように素材、構造、強度などよくないもの、劣ったものもたくさんあります。好きなもの、熱意を注ぐ対象であるものに対しては、それだけ厳しく観測する必用があるのではないでしょうか。
「これからドイツ軍実物ホルスターを入手したい」、また「現在所有するものをより良質なものにグレードアップしたい」というコレクターの方々に申し上げるべきドイツ軍ホルスター、P08、P38の「ハードシェル」ホルスターに関する現況は、いつも同じような内容で残念なのですが、ドイツ軍実物ホルスターの流通と、その価格に関する状況は私たち日本人ミリタリアディーラーと日本人コレクターにとってよくありません。「そういえば最近、販売催事などで見ないなぁ」というものは国際的に流通量が減っている、というだけではなく、価格の急騰で流通していても輸入量が減っている、というケースがほとんどです。「昔のこと、XX年前は○○はたくさんあった、そのときは値段がいくらだった、」と語るのは無意味なこととはいえませんが、現在、現時点でお金と時間とエネルギーを使っている現代のコレクターに大してこれを言うのは大変失礼なことであると思います。口にしてはいけないとはわかっているのですが、以前はドイツ軍支給型ホルスターは100ドル台または各国通貨で1万数千円程度で入手できるものでした。(特にP08、P38かでの差はありませんでした。)そのため、高くても2万円台で販売が可能だったのですが、過去7−8年でドイツ軍ホルスターの流通価格ががらりと変わりました。アメリカドルでいうと通常の状態のもので200ドル台、これは良いものだ、とそそられるような状態の良いものだと300ドルは軽く越えるものとなりました。このことから、販売者が無理をしても、250ドルの並ホルスターでも3万円台になってしまいます。しばらくはミリタリアのディーラー、コレクターからではなく、ホルスターが脇役となるドイツ銃器コレクターから入手することにより、原価の統制をして販売価格を低くすることもできたのですが、それもここ4年くらいで難しくなってしまいました。WW2ドイツ軍コレクションにおいて、実物に関しては被服に比較して、ごく一般的な野戦装備品は残存数も多く、それほど高くない、という良い特徴があったのですが、ホルスターはこういった背景から特殊装備化していってしまっています。しかし、冒頭に書かせていただいたように、コレクターのみならず、「ホルスターだけは実物を」という方が多いこと、また、「ホルスターに関しては厳しくグレードアップしたい」というコレクターの方が多いことから、ドイツ軍実物ホルスターに関する需要は流通量に対して反比例して高まってきていました。この状況に「良くも悪くも」作用したのが、「戦中製造・戦後修復・実物」のホルスターのコレクター市場への参入でした。
元ノルウェー軍・実物WW2ドイツ軍ホルスター
第2次大戦後、新興国家ノルウェー(独立は1900年代初頭です)はドイツに対する賠償請求件を放棄するかわりに、大量のドイツ軍兵器の引渡しを受けました。80年代のノルウェー軍を取材した記事などでは、当時現用の迷彩服にMP40短機関銃をもって、近代的な綿製装備に大戦当時のドイツ製革製ホルスターを吊ったノルウェー軍を見てとても驚いた記憶があります。ノルウェー軍では、ドイツ軍ホルスターをアイレット(はとめ式金具)を使用して装備を固定するアメリカ軍式のベルトに装備するため、改造を施しました。この改造はホルスター背面の2本のループを外し、そこにアメリカ軍のM1910フックに準じた金具を、革を2つ折にして、4個のかしめ金具で固定するものでした。長く使用されていたこれらドイツ軍兵器も何十年も経過して廃棄・処分されることになり、ホルスターはP08、P38ホルスターともにかなりの数が放出され、放出品としてコレクション市場に流通するようになりました。買い付け出張の際、欧米の中規模のミリタリアショップで、床の上の籠の中にドイツ軍ホルスターが山積み、という信じられない光景を見て、「まさか!」とひとつ手にとると、背面に米軍1910フックがついているノルウェー軍放出品、とわかって軽く失望することがありました。これはWW2ドイツ軍のアイテムがサープラスという形で市場に出回る最後のケースだったことでしょう。しかしながら、ノルウェー軍放出ホルスターは背面のアメリカ軍式フック固定具以外はWW2ドイツ時代のままです。そこでこのアメリカ軍式フック固定具を固定している革部分を、4個のかしめ金具を取り去って外し、このノルウェー軍放出ホルスターの背面を、よく似た革を使ってWW2当事の状態に復元したホルスターがP08、P38ともに多く流通するようになりました。P08、P38ホルスターはともに、内部に2本のループを縫い止めするため、糸を通す切れ込みがあります。これを再度利用して60年前と同じ作業でベルトに固定するためのループを2本縫い付けるわけです。しかし修復できないのがアメリカ軍式フック固定具を固定していたかしめ金具を外した後の貫通穴です。ここには同径の革の小円筒を埋め込んである例がほとんどです。
海外の、日本でもかなり名の知られたコレクションショップでも、やむを得ずこの改造品、(というよりも実物なのですから修復ホルスターと愛情をもって呼ぶべきかもしれませんが。)を扱っている場合があります。この場合、知識がないがゆえの悪意のない販売者と、知っていて説明を怠っている場合の両者がありますので、最悪のケースとして悪意ある修復ホルスターに遭遇することもありうる訳で、実物ループにこだわる場合は事前の確認が必要でしょう。この場合2本のループは他の不人気な実物野戦装備を解体するなどして得た当時の革素材を使用し、4個のかしめ金具痕は巧妙にパテなどを使って隠してあり、慎重に検品しないと復元パーツであることを識別できないものも少なくありませんので注意が必要です。繰り返しますが、善意のものも、悪意のものも、この修復ホルスターに遭遇する確率は、現在、かなり高いものです。
ノルウェー軍使用ホルスターはコレクター、リエナクターの考え方によっては、コレクション予算を節減できる良質な選択肢であるかもしれません。またループ部分以外は実物そのままなのですから、代用品というよりも、今後何十年かたてば保管義務の高い通常のコレクション対象品となるでしょう。その点、ドイツ軍ホルスターを使用していて、放出してくれたノルウェーに感謝すべきかもしれません。「入手可能性の限界に近い最高の状態のものばかりを追わず、現実的な価格範囲のコレクションも重要視」しているレコレクショヌールでは、このノルウェー・WW2ドイツP08/P38ホルスターを購入し、レザークラフトの技術者に依頼して、アメリカ軍フックを除去、オリジナルに準じたループを復刻し、リエナクターの方の実物アイテムとしても、コレクターの方の「WW2ドイツホルスター入門編」としても価値のある形にして販売しております。この場合、リエナクトメントでの使用にも耐えうるように、あえてホルスター本体の縫製を銃口部分から長くほどき、ホルスターを開いて、当時の縫込みスリットを使用してしっかりと2本のループを縫い止めし、また本体を縫い直して修復しております。外国で修復された状態で輸入されたホルスターの多くが、ホルスター内部の狭い空間で短い針を使って直してあり、形だけの修復であるため糸と縫いが弱く、リエナクトメントでの使用中にループが外れてしまう、緩んでしまう、という例が多かったからです。この修復ホルスターは原価も安く、レザークラフトの作業コストを加えても2万円程度と、以前の価格でご提供できたため、修復品としても各地のリエナクトメント、販売催事でご好評をいただきました。レコレクショヌールではあえてわざと、ノルウェー軍フック取り付けあとを粗雑に修復してあります。これは何年か、また何十年かたって、これらのホルスターが「無改造実物」として流通しないようにするためです。
その他、このホルスターに関しての話としては、アメリカ軍式フックを取り去ったあとは、長年にわたって革が密着して、擦れあっていため、ヴァッフェンアムト記号番号や製造社名(3文字コード)、納入年度などが難読になっている場合があります。ドイツ軍革製装備の刻印は多くの場合かなり強く押されています。読めない、と諦めず、保革油を塗ってしばらく置いておくと次の日にはベースの革が柔軟化し、読めなかった刻印・マーキングがうっすらと浮かび上がっていることがあります。ご興味のある方はぜひお試しを。3個にひとつは成功するようです。またノルウェーでは他国のものといえど軍隊の装備品であったため、きちんと手入れされており、かえって当時のままの状態で残存しているホルスターよりも状態の良いものが多い、というのもこのノルウェー・ドイツ軍ホルスターの特徴です。
関連事項1)―WW2ドイツ実物野戦装備の価格
「WW2ドイツ軍装備品はなんでもかんでも値上がりしていて高い」というのは誤りです。10年前とそれほど市場価格が変わっていないものも多くあり、その例は水筒、雑嚢、マップケースなどです。市場に数が残っているもの、また入手希望者の数が安定しているものは急激な値上がりがない、ということはドイツ軍コレクションのアンティック性の高さを示すものといえるかもしれません。(これはWW2のものなら何でも「大戦アイテム係数」がかけられているかのごとく、過去5年で一気に本国アメリカを中心に価格構造の変わったWW2アメリカ軍関係と比べて、コレクター諸氏への言い訳めいたご説明をする必要が少ないことが、販売者にとって安心感のあるジャンルでもあります。WW2ドイツ軍ホルスター補足1)
―P38ホルスターのビルトイン式引き出しストラップについて
使用者が自分の指で引いて使用するP08ホルスターと異なり、P38ホルスターのピストル引き出しストラップはフラップに固定されていて、ホルスターを開放するだけで収納されているピストルが自らせり出てくることが意図されています。第1次大戦時と変わらないP08ホルスターの構造に軽い失望を感じるコレクターは少なくないようで、このセルフ式引き出しストラップの機能にこだわるコレクターは多くいらっしゃいます。P38ホルスターに関してのお電話なのでのお問い合わせの際、一般的な状態検証に加え、「フラップを持ち上げたとき、きちんとピストルが出てくるか。」というご質問はとても多いものです。このフラップ直結ストラップは革が薄いものもあるため、使用により伸びていてきていて、ピストルのせり上がり度が甘いのではないか、状態の良いものはもっとしっかりピストルがせり出てくるのではないか、という疑念です。しかし、実際にはこの引き出しストラップの機能は私たちが思っているよりもよほど弱く、控えめなものです。しかしどうしても、フラップをあけると、ピストルが勢いよく飛び足してくる、という誤解があるようです。レコレクショヌールがいままで見たこのホルスターのなかで最高の状態のものはアメリカのP38専門のコレクターがもっていたものでしたが、フラップを開けても、ピストルは「ずるり」というよりも「じりっ」という感覚で数センチ出てくるのみです。この実物ホルスターでは「ピストルの取り出しやすさ」という機能はこのストラップよりも、本体に深くU字型に施された切込みです。P08とホルスターにはないこの切り込みでピストルを取り出しやすくしており、引き出しストラップはその補助的なものでしかありません。面白いのは最近新たに型を作ったP38ホルスターのレプリカでは、この引き出しストラップの機能が実物以上に強調されていて、フラップをあけるとP38がぽんと飛び出してくる、というものです。レプリカのほうが実物よりもピストル取り出し機能が「強化」されている、という興味深い話です。関連事項2)―弾薬ごうとホルスターの違い
以前コレクター間でよく出た話題で、弾薬ごう、パトローネンタッシェはゾルトブーフ支給目録にしっかりでているのに、なぜ、短機関銃の弾倉ケース、マガツィーンタッシェとホルスターの支給表示の例が少ないのか、という疑問がありました。これについては、短機関銃弾倉ケースとホルスターは、それぞれ対応する武器の付属品として、一緒に登録管理され、移動するもの、それに対して弾薬ごうは個人である兵隊の装備として所属するものであるから、というのが理由であるとされています。*これはフランス語によるドイツ軍装備品研究者へのインタビューによるものです。印刷物などの裏づけはありません。WW2ドイツ軍ホルスター補足2)―優秀なレプリカは時間経過により実物になりうるか?
実物ホルスターの希少性の高まり、また価格高騰により世界各地でドイツ軍ホルスターのレプリカが生産されており、新しく作られたものはそれ以前のものよりも必ず、改良されており、実物に近いものとなってきています。ここでよく耳にするのが「よくできたレプリカなので、10年後にでも、古くなって古色が出たら、実物と見分けがつかなくなる。心配だ。」という意見です。WW2当時と現代、60年の年月の差は決して埋ることはありません。これは時間経過による「古色のつき方」がWW2当時の実物と現代のレプリカとでは異なるということです。レプリカ製作は専門業者に依頼して製造するわけですが、革のなめし、表面の塗装は当時のものと現代とは時間、地域により大きく異なります。これには利益を出すため、コストを低くしなければならないという現代の産業上の理由も大きく影響しています。特に差が出るのは裏側で、表面とは異なり澱粉素材などを使用して裏側の毛羽立ちを潰して滑らかにしてありますが、これが当時のものと現代のものとは異なり、また時間経過による変質にも大きな差があります。これらの「差」についての知識を身に付けるためには実物の観察は当然ですが、新しいもの、古いもの両方のレプリカも手にする機会があったときはかならず特徴を観測することです。これにより、レプリカのヴァリエーションを実物と同じように頭のなかにインプットし、消去法のためのデータを増やすことです。レプリカの識別は、慣れれば、できます。よくできたレプリカ、現代に近い新型レプリカであればあるほど、この特徴は強いようです。
〜WW2アメリカ軍野戦装備についての話題〜
1)WW2アメリカ軍コレクション、カーキの魔力
ほとんどの装備と一部の被服の構成部品にある「カーキ」と「OD(オーディー)」の話です。
WW2アメリカ軍のコレクション対象品にかぎらず、被服よりも残存率が低く、また使われて破損・廃棄されて喪失度が高いというのが野戦装備の困った特色です。古着市場などで発掘の可能性のある被服と異なり、ほとんどの場合、コレクションの世界でのみ入手機会を得る野戦装備は入手機会が少ないとはいえ、コレクターにとっても取り組みがいのある、楽しい対象物でしょう。特に第2次大戦中のアメリカ軍野戦装備ほど種類が多く、ヴァリエーションが多く、収集対象が多岐にわたるものは、他のコレクション・カテゴリーではありえません。北アフリカでの初期の作戦では第1次大戦の装備がM1ヘルメットなどの最新装備に混じって使用され、戦争後半ではそののち長くベトナム戦争でまで使用されるような装備が支給されており、長く時代にまたがり、また自分のコレクションに何かを加えるというアイテム選択機会の可能性はまさに数え切れないほどです。さらにこの購入機会の回数を倍増させるのが、カーキとODという、色調の差異です。この「色の違い」はWW2アメリカ軍個人装備にのみある、他のカテゴリーではない要素で、特定の、同じひとつのアイテムを希求度・価格などではっきりと区別する基準になっています。
しかしながら、どうもこのカーキという色には魔力があるようで、コレクターが情熱をかければかれるほど、カーキという色調のもつ魔力に苦しめられ、余計にお金を使ってしまっていることが多いようです。さすがにコレクターが現代のようにきちんとした知識をもって成長していなかった時代のように、カーキが「黄色」と呼ばれ、WW2装備はすべてカーキでなければ、ということはありませんが、カーキ素材でできた装備に求められるアメリカを中心としたあまりにも高額な価値には、首を傾げざるを得ません。例として、折りたたみスコップのケース、本体カーキで縁テープがODのもの、アメリカ市場を中心とした、最近の値上がりはすさまじいものがあります。(この前はなんと65ドル、約7000円というものがありました。)「カーキである」ことが不当に過大評価され、コレクターもそれを日本にもたらすディーラーも不必要に高額な価値を要求されているものの例として、以下のアイテムがあります。
M3ナイフ用の樹脂整形布製さや、M8スキャバードはその後何十年も基本形は変わらず、何世代もの銃剣のさやとなった傑作ですが、このコットン製ベルトループ部分がやはり「カーキの魔力」でカーキ素材が珍重され、その価値は値段の差となってあらわれています。かなり綺麗なコットン部分カーキのM8、130ドル!というのがありました。レコレクショヌールの担当者は勿論買いませんでしたが。M3ナイフをコレクションなさっておられるコレクターの方からは、初の入手品として、またはグレードアップのための状態を指定なさった上での購入依頼などで、この「カーキM8」はよく話題に出ますし、レコレクショヌールでもかなりの数を販売しました。でも、M3ナイフの生産は43年3月からです。当初、旧型革鞘M6の支給期間を考えても、M8はWW2まっただなかの生産品、このスキャバードのコットン部分の正規であるべき色調はOD、ダークODです。では、カーキは、というと、「工場に残っていた、使用しきれずに残っていた、ODに染められたコットン素材が届くまで、しかたがないから使う切ろうとしていた」ものにしか過ぎません。私たちはつい、初期・後期という線引きをしてしまいす。またある時間的な「点」を境にそれ「以前」と「以降」は採用・廃止という見方をしがちです。あるものはすべて使うまで使用する、見栄えなどは気にしないといのは当然のことで、かえって、新素材をどんどん使い、旧素材をそのままのこしておいたならば、現代の日本と同じく、税金の無駄使いとして、責任者の処分にまで至るかもしれません。私たちは、こういった素材の変更をついつい、自動車のモデルチェンジのようにある日いっせいに起こって、その日のうちに終わるような勘違いをしてしまいますが、人命にかかわりがない限りは、装備品・被服は節約に節約を重ねます。けちで、無駄なことはしない傾向は、これに気が付くと、アメリカ軍装品にとても目だつ現象で、かえってWW2日本軍などのほうが旧式素材をすっぱりと廃止しているほどです。上記のカーキのスコップケースなどのテープ部分のみの新素材使用はその例でしょう。さらにこうして考えると、人気のカーキ装備って、ひょっとして、生産性の超悪い、出荷成績の悪い「望ましくない」工場からの出荷品ってことになってしまいますよね。これはWW2アメリカ軍コレクションでどうしても陥ってしまう幻想といえるのではないでしょうか。かえって、WW2当時のアイテムが広く支給・使用されていた「ベトナム戦争時のアメリカ海兵隊」コレクションにとりくむコレクターの方々は、この時間のずれを簡単に理解しているようです。勿論、コレクターがひとりひとり、自分の価値尺度で自分の予算を使ってアイテムを選択する、というのはコレクションの基本です。簡単に言えば、「カーキばっかり買ってても、そのひとの勝手でしょ、」ということになりますが、コレクションのために品物を集めるということが、「この品物が必要に迫られて製造され、支給されていた人たちが真剣に持ち運んだ時代」の印象を再現するということであるとするならば、より現実的な考察は現実感のある再現の追及につながるといえるのではないでしょうか。また、コレクションの成長には切っても切れないのはお金の問題。どのようなものにでもカーキ優先で行くと、いまや被服よりも何ポイントかは入手困難な野戦装備、5点、10点と気にせずに行くと膨大な金額が「カーキでなければ」の軽い誤解のために消えていってしまいます。さらにこのOD/カーキ論争をとっかかりとして、アイテムの時代背景を時代を追って、個々に生産時期をあてはめながら、考察すれば、立体的な思考ができて、コレクションの楽しみも倍増するのでは、と期待できませんか?このカーキ、OD論議は国籍に関係なく、世界各地でなされています。英語圏でこのカーキであるべきか、ODであるべきか、という表現で頻繁に使われたのがproper、プロパーという言葉です。なにがプロパーであるか、ミリタリア論におけるこの言葉は翻訳ができません。単純に辞書に出ている意味「妥当な」だすると意図するところが弱すぎますし、ミリタリアで求められる「純正」というと意味が強すぎます。あえて言うなら、「諸状況を常識で判断して、そこに収まるべきものとして最もふさわしい」というところではないでしょうか。
2)OD装備をコレクターしてゆくと/幻のODハバーサック
以前は軽視されていたOD装備も最近の日本人コレクターの着実なレベルアップにより、日本ではOD装備が海外においてよりも高い評価がされているようです。最近よく、「アメリカでは人気のないODのWW2装備が売れる。私たちのお客のアメリカ人たちはいつまでたってもカーキしか欲しがらない。日本人はフェアな(適切な)裁定(ジャッジメント)をするなぁ。」とアメリカ人ディーラーが言いました。お世辞ではないので、嬉しいですよね。WW2のOD装備コレクションはカーキ装備のコレクションをひととおり終えたコレクターが余裕をもって行うことが多いものです。とはいってもある意味でやはり難関で、通常の装備入手よりも難易度が数ランク上のブリティッシュ・メイド・コレクションと似ています。とはいえ、落とし穴になる要素も残念ながらあります。パズルのように、装備ベルト・カーキおよびOD、水筒ケース・カーキおよびOD、とぱちり、ぱちりとはめこんでゆきますと、ついカーキ―ODの図式を初期型―後期型と同一視してしまいます。数年前によくあった例が、短機関銃のショルダー式ポーチ(このアイテム、このコラムでよくでるのですが)でカーキは所有しているのでODが欲しいというお問い合わせがよくありました。このポーチのOD素材製は確認されたものありません。ODのみ存在の理由としてですが、この装備のスタンプされた年号は43年とか場合によっては42年とかWW2装備にしてはかなり速い(若い)ものが多いことから、あくまで臨時ポーチで、ショルダーストラップをつかって任意の場所につけて既存の装備との共存をはかったもの、という説が有力です。だからベルトループがない、というのが説得材料です。すくなくとも、ベトナム戦時のショルダー式SMGアミュニッション・ケースとは親子関係はありません。臨時装備であることからOD素材普及の前に生産を終了していた、という説です。ところが、ご友人が現物を持っている、というお客様もいらして、レコレクショヌール担当者は「それではきっとあるのだな、不勉強だった。」と反省していたのですが、ある日親切なお客様がそのOD素材製の現物を持ってきてくださいました。大変残念なことに、このポーチは戦後フランス軍のものでした。フランス軍戦後装備は冬期環境下での使用を想定したアメリカ装備と異なり、熱帯での使用を考えたもので、形は同じでも素材が全く異なります。また、リフトドット金具にはフランス語が刻印されているものもあります。いまでこそリエナクター用に輸入されているので誰でも知っているこのポーチですが、当時はこれら2―3人の熱心なお客さまがご自身で海外のオークションから落札したもので、それなりに損害が出てしまったものでした。これは、カーキがあればODがあるということをきめてかかってはいけないという例なのですが、このことはアメリカ軍装備を考えるにあたり、様々な要素を示唆します。これに類似した例として、「OD版」M1928ハバーサックがあります。これはアメリカとヨーロッパで随分論議をかもした問題なので、とても面白く、また、「ミリタリアに対するの論理的な考察による判断の方法」のとても良い例です。さらに前述のポーチのように重い、不愉快な終結でもありません。OD装備コレクション、を続けていった世界中のコレクターたちが「OD版」M1928ハバーサックを入手するにあたり、カーキからODへのあと染めされたものを避け、正規OD素材のものを求め、これは大丈夫だ、正規OD素材のものだ、と信じて入手したものが、縁テープの部分を思い切り引っ張ってみると、下にカーキの下地が見えて、やはりあと染め、で失望するという繰り返しが何年も続いていました。日本に進駐したアメリカ軍は当時の最新装備をもっていたことから、日本には「純正」ODハバーサックがあるかも知れないから、探してくれ、と何人ものアメリカ人、ヨーロッパ人に依頼されました。しかし、ついに純正ODのハバーサックは見つかることはなかったようです。結論として、「戦争当時、未支給のすべてのハバーサックは回収され、色調の規定が定められ、軍指定の工場であと染めされた。」という「ハバーサックあと染めプロパー説」が支持を集めるようになりました。ハバーサックのほとんどが1942年製で、OD染料の普及以前である、というのもその説の基幹となる根拠でした。しかし、コレクション市場にアジアや南米の軍隊で使用されたと思われる、みるからに「工場あと染めプロパー説」に疑いを持つような染色技術の低いODM28パックが紛れ込んできたので状況が混乱し、さらに年号で43年以降のものがあるハバーサック付属品であるパックキャリア(ブランケットキャリア)とメスパンポーチが存在するのだから、本体もあるはずである、とう説が巻き返してきました。これにはこれはと思うハバーサック、パックキャリア、メッスパンポーチをカッターで切ってまでして(そこまでしなくても、糸の染まり具合などでわかりそうですが)調べたそうです。しかし、これも退役軍人の証言で解決されました。ハバーサックとは「本体」はそれほど傷まない。しかしパックキャリアは荷重のため壊れやすく、まだ緊急脱着のための革ストラップとともに(M28パックは現代のパックと同じく、本体とパックキャリアを連結している革ストラップを抜き取ることにより、上下に分割される、近代的な背嚢です。)軽度の破損で交換された、というものでした。この交換作業はメスパンポーチも同様で、これには衛生上の理由もあったようです。最後に判断基準とする要素は残存数です。この5年間こそM1928ハバーサックは品薄になりましたが、それ以前はWW2アメリカ軍野戦装備のなかでもっとも平凡なもので、多く残っていたものです。当時も保有数を把握した上で、あと染め・再支給したことが考えられます。こうしていまは世界中でOD素材のM28ハバーサックを探すコレクターはほとんどいなくなりました。せめてこだわるとすれば、「イメージとおりのODあと染め具合]だそうです。WW2コレクターにはどうしても受け入れづらかった、「あと染めプロパー」の考え方はやはりベトナム戦争コレクターにとってはごく普通のことです。皮製ホルスターもそうですし、黒革コンバットブーツはその半数が茶革を染め直したものだったからです。この例でも、やはり、コレクションにおける「プロパー」が判断基準になりうる、とはいえないでしょうか。戦後の私たちコレクターの情熱は時として心理的な効果により、歴史事実から離れていってしまう、という例でしょう。また、これは45口径ピストルのリフトドットが2個ある弾薬ポーチのOD版というものの実在をみて、ある程度、裏づけと論争者の納得を得たようです。どれもこれも42年製の、リフトドットが1個の新型45口径ピストルのリフトドットが1個の弾薬ポーチが「カーキ」であるのに対して、第1次大戦型の継続支給とされるこのポーチで1918年製とはっきり刻印され、それでOD色のポーチが一定量発見されたのです。インカの遺跡にロケットの図があるというような、混乱を招く例ですが、説明は単純に、「軍工場による正規のあと染め」というのが動かざる結論でした。被服は比較的残存しやすいのに比べて、装備は残存しにくいものです。不用品としての保管状況からのケースに期待するしかありません。また、被服は早い時期に良い複製品が作られ、また代用品もあったのにくらべ、装備品は代用品もなかったため、長い時間に渡り、民間での他の目的でも流用使用やリエナクトメント目的のために使用され続け、かなりの数が損耗して消滅していっている、といえるでしょう。アメリカ軍をはじめとする野戦装備は海外コレクターからの直接買い付けを方針のひとつとするレコレクショヌールの得意分野のひとつです。特定の軍隊のアイテムは当該生産国の市場における値段が一番高い(日本軍の場合ってそうですよね。)という困った話が、WW2アメリカ軍野戦装備にすぽすぽとあてはまるようになってかなり時間が経ちました。レコレクショヌールは適切な価格で良質なものを求め、去年1年間に入手したWW2アメリカ軍野戦装備のおよそ半分、50%がアメリカ以外の国、フランス、イギリス、ドイツなどからの発掘品であり、今年には確実にWW2野戦装備と被服の輸入もととしてはアメリカ/その他の国の割合が逆転します。価格的にも「アメリカ市場における価格より20%程度低いもの」を購入判断の基準にしており、納得できる値段で良質な状態のものを、また最近は市場に出回らなくなってしまったものの入手に特に力をいれております。レコレクショヌールは今後も魅力的なコレクション対象であるWW2アメリカ軍野戦装備の入手に特に力をいれてまいりますので、どうぞご期待ください。
〜日本へは実はたくさんのディーラー、コレクターが来日しています。〜
レコレクショヌールへお電話を下さった方は、留守番メッセージを日本語で申し上げた後、外国語が入っているのをお聞きになられたことがあると思います。「なんだここは、格好をつけて、感じの悪い。」と思われた方も多いことでしょうし、実際レコレクショヌールの担当者もお電話を下さった方に失礼だな、と思っておりますし、恥ずかしいのですが、これには理由がございます。年1回の東京でのミリタリー・ショー「Vマット」また年3回の「ブラックホール」には国際的なミリタリアディーラー、G.ピーターセンやボブ・チャット、またリエナクトメント用品のS.マクローガンなど来日して国際価格でコレクションを即売し、各ショーへご来訪のコレクター諸氏の楽しみのひとつになっていますが、実は外国人ディーラーはこのイベント以外にも時折来日をしております。彼らはアジアへの出張の途中に日本へ立ち寄り、ごく親しい同業者や顧客と面会し、ものを売り、仕入れをし、すぐに離日するという日程をとっており、公共の場へ出ないため、一般には海外業者は年に1回程度しかに来日しないと思われているのです。こう聞くと「頻繁に仕入れができて良いですね。」といわれますが、そうでもないのです。「日本へ来るときは事前に連絡をくれよ。イベントで東京を離れていることもあるし、とつぜん来られても僕には僕の予定もあるし。」と口をすっぱくして言っており、また相手も「勿論だよ。ぼくはそんな非常識ではない。」などといいながら実際には「明日のフライトで成田へ着く。」とか、ひどいときは「今東京のホテルにいるんだけど。」というのもあります。旅行の日程となると、アメリカ人もヨーロッパ人もEメールは余り使わず、なぜか大抵電話です。こういった事態に対処するため、レコレクショヌールでは外国語を2ヶ国語で留守電にいれているのです。「とはいえ、年に何回かのことだろう、やっぱり気取っているんじゃなんか。」といわれる方、実はこの外国語メッセージ、週に何本かはかならず伝言が入っているのです。日本へやってくるのは業者だけではありません。ディーラー以外にも、意外と多くの外国人個人コレクターが仕事の出張で、または家族との観光旅行で日本へ来ております。彼らは会社で「日本へ出張だ。」と指示を受けたとき、または家族で奥さんと相談して「日本へ旅行しようか。」と決めた時点でもう観光情報を集めることは全くの後回しで、「しめた。日本でコレクションを探すぞ。」と自分がものを売り買いするアメリカやヨーロッパの地元ディーラーに「日本の業者やお店を教えろ。」と詰め寄っているようです。これらコレクターの何人かはレコレクショヌールを紹介されるので、成田からばんばん電話をかけてきます。外国人―「やぁ、僕はアンリだ。」レコレクショヌール―「やぁ、アンリ、ひさしぶりだな。」外国人―「いや君は人違いをしている。君は僕を知らないし、僕も君を知らない。」レコレクショヌール「????」というような ことがしょっちゅうあります。かれらは日本軍関係や日本に多く残るベトナム戦争関係を探していますが、なかには慣れた人がいて、Once in, never out (一度入ったら出てゆかない。)という日本のマーケットをよく知っていて、現在日本で値崩れしているフライトジャケット、また大変質の高い物が集まっているドイツ軍コレクションを買ってゆき、自国で売って航空券代、ホテル代を浮かせてしまう人もいます。また、レコレクショヌールにとってもこれら個人コレクターのもってくるコレクションは意外なものが多く、「大したものはないだろう。」とちょっといやいや彼らの滞在するホテルへ行くと、えっと驚くようなものが売却希望品で現れ、ほんとに?!というような価格で申し出られます。彼らは地元で日本のコレクションのレベルの高さを聞いており、ほぼ自国内での取り引きと同じ常識的な態度と判断で接してきますし持ってきたものはなんとかして換金したいのでとても買い手に有利な状況があるわけです。時折、価格的にとても「安い」コレクションがWW2ドイツコレクションを中心に何点かご提供できたのも、こういった入手法があったから、ということもあった訳です。もうひとつ、レコレクショヌールは国内は九州までイベントへ出張しましたが、過去3年にわたり、韓国・ソウル、中華民国・台北でのショーに参加しており、来日者の多いこれらの国からのコレクターが頻繁に日本を訪れ、レコレクショヌールに電話をしてきます。このように日本のコレクション市場は世界の注目するところで、これからは大変多くのディーラーやコレクターがやってくることでしょう。コレクター・リエナクター諸氏もお店などで外国人を見かけたら声をかけてみてはいかがでしょう。言語の問題は意外と心配はいりません。会話能力の第1段階達成は「自分の専門分野について話せること」です。コレクター同士は身振り、手振りで十分、なぜかというとお互い意味するものは正確にわかっているからです。問題をそれをどう呼ぶかという言語的問題だけ、さらにコレクションの世界では外来語、カタカナが多い。外国語に弱いという私たち日本人には、コレクションの世界では逆に有利かもしれません。さらにどのみち、相手が英語をしゃべるとはかぎらず、特にロシア人ディーラー、個人コレクターの一部はほぼ挨拶程度しか英語を使いません。骨董市などで見かけた外国人から意外と自分だけのコレクション入手ルートが構築できるかもしれませんよ。
仕入れ海外出張で遭遇したいろいろな話2
〜実は日本はベトナム戦争ミリタリアの宝庫なのです!〜
ケンタッキー州のルイビルで年1回、2月に開催されるSOSショー(Show of the Show, ショーの中のショー、ちょっと大げさです。)という大規模で良質なミリタリーショーがあります。アメリカのショー、展示販売会というと実際にはその形態は銃器販売ショーで、ミリタリア出展ブースは全体の半分というのがよくある開催形式なのですが、このショーはミリタリアの販売と展示のみに重点が置かれており、出展者もアメリカ各地はもとよりヨーロッパからも来訪する規模の大きなイベントで、アメリカで行われているショーとしては良質なものです。数年前にこのショーへ行ったときに、ベトナム戦時コレクションの販売ブースがありました。そこでナイロン装備Hサスペンダーが12ドル50で売られていたので買おうとしたところ、実はこれが125ドル(1万4000相当!)であったのに驚いたことがあります。鶯谷で¥4000で売られていたこのサスペンダーがこういった状況になってるとは、意外ですよね。これは日本では平凡な品が海外では希少であり、それを「日本には物がない」と私たちが思い込んでいて、希少性を知らないだけ、という良い例で、これには以下のような背景があります。ベトナム戦争当時、最新装備だったナイロン製サスペンダーは生産・工場出荷とほぼ時間差ゼロで航空輸送によりベトナムへ送られています。ベトナム行き物資は実際には大規模デポである沖縄へ到着し、ここに膨大な数の被服装備が集積されました。この過程はとても迅速なものでしたが、もし戦地ベトナムで希求されていたナイロン装備が緊急生産後、国内へのんびり置いておかれるようなことがあれば、軍需部責任者の責任問題になりかねなかったわけです。こうしてナイロンHサスペンダーは根こそぎ沖縄へ送られ、当時すでにLC装備が後継として生産が始まろうとしていたため、アメリカ国内にはほとんどナイロンHサスペンダーがないという現状が発生しました。一度海外へ輸送された野戦装備や被服は、必須の理由のない場合以外はわざわざ軍が予算をかけてアメリカ本土へ持ち帰ることはありません。125ドルのサスペンダーのアメリカ国内での相場はこうして決まってきたわけで、私が会場をひとまわりしていたら、このサスペンダーを握り締めて嬉しそうにしているアメリカ人がいました。売れていたわけです!アメリカ人にとって貴重なナイロン製サスペンダーは日本ではそれほど入手困難ではなく、どちらかというと不人気アイテムですよね。私たち日本人は屋内にあったアメリカ軍基地のおかげで意外にも本国アメリカのコレクターよりも恵まれた状況にあることが少なくないのです。
類似した状況で、ドイツにおける初期綿製M1956装備の流通の例があります。ヨーロッパ・ドイツでベトナム戦争関連ミリタリアを探すというと違和感を感じるかもしれません。これが日本・沖縄の状況と同様に、いまや常識である「M56装備はベトナム戦争とは関係のない冬期装備」という事実と、冷戦たけなわだった当時、アメリカにとっての最前線はソビエトを背後に控えた東西ドイツ国境であり、最新装備であるM56装備は真っ先にドイツへ送られていたという背景があります。こういった背景から、ドイツではOD綿製装備の状態の良いものが、特に最近ではアメリカ本国よりもより頻繁に入手できます。
仕入れ海外出張で遭遇したいろいろな話1
〜ドイツ軍コレクションに係っているとどうしてもあるはなし〜
お客様にはなかなか信じていただけませんが、レコレクショヌールの仕入れ担当者は海外滞在が大の苦手です。日本の温泉場とかの慣れた所なら、何ヶ月でも(?)いれそうなのに、海外滞在が1週間くらいを越えると体調、というよりも「頭」調がだいぶ悪くなります。自分にとっては楽でない海外滞在ですが、品物販売、売却の交渉において出会う外国人ディーラー・コレクターたちとの対話、交流、そして相手のちょっとした親切心に触れることができたときは、つらい仕入れ旅行のなかでもほっと一息つくことができる時です。特にアメリカ、ヨーロッパの大規模な販売イベントに参加したときなどは、以前にあった事のある人物も多く、再開の挨拶や近況説明などに忙しく、「困ったな、仕入れもしなけれればならないのに。」と当惑することもあります。これら親切で世話焼きな外国人たち、特に我々日本人に先方から好意的に近づいてきてくれるのは、国籍別でゆうとまずドイツ人、イタリア人、ロシア人、そしてポーランド、チェコなどの旧東欧州、そしてスペイン、メキシコ人などです。特にドイツ人の日本人に対する好意と親切心は、さきほどの話のように場合によっては困ってしまうほど熱烈なもので、値引きをしてくれるのはいつでも歓迎なのですが、食べ物から飲み物をくれたり、大変なものです。なかでもアメリカでも会うし、フランスでも会うし、当然本国ドイツでも会う、とても親切なドイツ人がいました。金髪でとてもハンサム、いつも一杯の笑顔、WW2ドイツ軍ミリタリアを扱い、1級品はないけれどすべて実物、そして価格も、「こんなもので良いの!」というくらい安い。ものを買うとさらに値引いてくれ、コーラ飲め、ハンバーガーだのも食え、と押し付けてきます。さらに「ドイツの販売ショーの情報をどんどん流すから、ドイツ本国へもっと来いよ。」と話しまくります。レコレクショヌールは勉強不足の下手なドイツ語を使っていたのですが、このドイツ人のドイツ語は「ほんとにあのシャッ、ショッ、ヒィしか聞こえないドイツ語?」と思えるほど明晰で解りやすく、自分のドイツ語が上達したのではとすら思えるものでした。あるときこの「いい奴」ドイツ人があるショーの参加者歓迎式典で「ちょっと話せる時間ある?」と声をかけてきました。もちろんいいよ、と会場から少し離れた暗がりでつれて行かれると、そこで私は3―4人の異様な集団に取り囲まれました。全員スキンヘッドに黒皮の衣類!ところが威圧感はまるでありません。カールだ、ハンスだ、と紹介されるスキンヘッドは誰も皆、にこにこ慢心の笑顔。そして全員が立派な英国英語をしゃべりました。話というのは「私たちは何とかかんとか愛国連盟のものだけど、日本人として今の世界をどう思うか。」というものでした。いわゆるネオナチです。レコレクショヌールはコレクションの世界に政治性が少しでも入ったら、かならずこの差別対象にもなりうる認知度の低い趣味は社会に排斥される、と考えています。(特に日本では)ドイツの軍装は価値のあるものですが、歴史上の事実については、世界の人々がもつ当時の出来事に関する認識の最大公約数しかもってはおりません。「なぁ、どう思うんだい、一緒に考えてみよう。」というスキンヘッド集団を、適当ないいわけをして振り切って、式典会場に逃げ戻りました。そのときにやっと解ったこと、あのハンサムなドイツ人はその組織の出先機関というか、そこそこの軍装を安く売って、人々とコンタクトを取り、これはと思う人物を自分たちの活動に引き込むことを狙っていたのです。日本やアメリカと異なり、ヨーロッパは戦争以降の時間がゆっくりながれています。日本ではすでにコレクションのジャンルでは20年前には一般的だった「ナチ」という言葉はほとんど使う人がいなくなり死語となっており、「第2次大戦ドイツ」というジャンル分けが定着していて、「したり行ってはいけないこと」の一般的な常識さえあれば日本でこの「ドイツ軍ではなくてナチ」に触れる機会からは解放されてきたようです。しかし2003年の現在でもいまだにヨーロッパではかなり大きな街でも「あの一家は戦時中にナチに協力していた人でなしだ。」と私たち旅行者に平気でいうような歴史観があります。コレクションの世界を通じて、いまだにのこる、あきれるほど変わっていない第2次大戦以降のヨーロッパの一面を感じた体験でした。
〜アメリカ軍45口径ホルスター〜
トップページで書かせていただいたように、レコレクショヌールでは、コレクションを始めた方のための「まず最初の1点」からコレクションを完成させる人のための「最後の1点」まで、いろいろな状態、コンディションのアイテムを揃えます。ここで「軍装品は未使用・新品が何が何でも一番良い。」という一般に信じられがちな条項が否定されうるアイテムの代表に、WW2アメリカ軍の茶皮製自動拳銃ホルスターがあります。未使用新品はコレクションの最終段階にある人が探される事が多く、まずこのアイテムを手にして見たいとお考えの方は大抵が「よく手入れされた中古品」を探されるという、とにかく程度の良いものを、という傾向が適用されないアイテムです。何故、未使用品が珍重されるWW2アメリカ軍コレクションで、中古品が求められるのか?理由として考えられるのが、未使用品だと、トイガンが収納できないという理由があるでしょう。他の装備品と異なり、素材として動物皮革を頑固に維持したホルスターは、使用されてゆくにつれ、保革油による柔軟効果と皮革という素材の避けられない特性として「伸びて、広がってゆく」ということがあるため、その伸びて広がる分をあらかじめ予想して縮めて、小さく造ってあります。よく「WW2のホルスターは年月が経過しているので皮が乾いて、縮んで小さくなっているからトイガンが入らない。」というのは事実ではありません。当時の納入業者によっては裏面に銀紙を張った、白いキャンバスの真空パックでホルスターの包装がされている場合があります。アメリカで眼の前でこの包装を切りあけてホルスターを取り出し、旧型のM1911を収納しようとしていたアメリカ人がいましたが、やはり私たちが日本で体験するように、拳銃はホルスターに入りませんでした。外気と遮断された真空パックですから、縮んでいるわけはありません。この新品のホルスターはひとまわり小さく造られている、という説はアメリカとヨーロッパでここ10年ほどで出てきた説ですが、これらの状況から、事実であると判断することができるでしょう。しかし、それを立証する当時の陸軍兵器部・軍需部によるホルスター工場向けの製造手順のようなものが発見されたわけではありませんから、私たちは常識を使って、物理的に事実を認知してゆくことになります。その後、80年代になってからの製品、いわゆる黒皮ホルスターは新品でもすんなりトイガンが入ることがあります。この理由は、使用する素材の皮革に「保革油などによる皮革の伸び防止措置」されているからです。この傾向は背面も黒染めされた80年代のものに多く見られます。しかしながら、この「伸び防止措置」は第2次大戦中でも実は可能で、この措置がなされていた装備があります。それは1900年代初頭に最後の装備改変をされた、戦車隊ではない、本当の馬匹による騎兵装備で、馬の頭につける頭絡や手綱、鞍やその付属品にこの措置がなされていたといいます。何故、当時から可能だったこの便利な措置が彫るスターになされなかったのか。それは第1に「お金がかかる」ことです。以前に何度か指摘したように、アメリカ軍は決して「豊かな国の金持ち軍隊」ではありません。節約できるところは徹底して節約します。アルミの節約のために作られたWW2当事の鉄製ホーロー引き水筒などはその良い例です。もうひとつの理由は、この措置をとらないことで、より多くの「技術の低い」工場でもホルスターが製造、納入できたということも狙われていたかもしれません。未使用新品のホルスターを探されるお客さまによくご質問頂くのが「新品だったら、ホルスター底部についている皮ひもは付属していますか。」ということです。実はホルスターには皮ひもは絶対に付属しません。皮ひもを通すとされる1対のアイレット穴の目的は、渡河などでホルスター内に水が入った際の排水のため、水抜き穴です。このホルスターの水抜きは拳銃の手入れの負担を軽減するためとても深刻な問題で、45口径自動拳銃の前の38口径回転式コルト・サービスリボルバーの逆手抜き皮製ホルスターの時代には、兵士たちはこのホルスターの底部を切って円筒形に穴をあけ、水抜きを図ったほどでした。ホルスターの底部には涙滴方の皮の小片があり、その中央には小さな穴があいており、ここから水は2つの大きなアイレットを抜けて排水されます。アイレットはカウボーイのようにホルスターを足に縛り付けるため」という勘違いは、当のアメリカ人が最初に始めたファンタジーです。綺麗に皮ひもがついたホルスターが出てくるのはいつもアメリカで、ヨーロッパからはほとんど出てきません。実際に皮ひもでホルスターをももに縛り付けているアメリカ兵の当時の実写写真はかなり珍しいものであるはずです。ホルスターの構造も、「アメリカ軍のホルスターは拳銃を素早く取り出しやすくするために、小さな真鍮金具1個で閉じられている。」というのも事実ではありません。このホルスターは前述の「伸びて拡がらないように」という配慮からも伺えるように、収納された拳銃が決して脱落しないよう、「取り出しにくくなっても」内部で安定するように、木製のパーツを皮で包んで、内部に固定してあります。軍隊では銃器類を素早く取り出す、という目的に興味がもたれることはありません。銃器を使用する状況は事前に予測され、必要な準備時間をかけた上で銃器は使用されるからです。銃器を素早く取り出さなければならない状況とは、失敗した状況のなかで小六個とで、軍隊ではそれよりもいかに紛失の可能性を無くすか、雨や雪からいかに守るか、いかに携帯者に負担が軽く運搬できるかということに重点がおかれます。45口径ホルスターは取り出しやすいという目的よりも、拳銃を元通り収納しやすいホルスターとして考慮されています。このホルスターが考案されたころは「馬匹騎兵万能」であったアメリカにとって、騎兵の装備を最優先に開発し、そのマイナーチャンジで歩兵装備を開発していた感があります。(WW2歩兵用のXサスペンダーなどは、その先代は騎兵専用装備です。)騎兵はライフルと拳銃を同時に装備、下馬して戦う際はライフル、馬上で使用するのは片手でr手綱を操作できる拳銃です。機動性を求められる騎兵はとっさに両手で手綱を使えるよう、素早く拳銃をいホルスターに収納し、手袋をした手でも簡単にホルスターを閉鎖できる金具が必要でした。第2次大戦でも「座る仕事」の戦車兵や航空兵に2使用された、スウィベル(回転部)を備えた騎兵用ホルスター派こうして製作されたものですが、ももにホルスターを縛り付けるための皮製のバックル付きのしっかりしたストラップがホルスター中部の裏側につけられており、現物を手にすると裏側にだけ水抜きアイレットがひとつだけ付けられいます。これらは、つい、アメリカの軍隊とウエスタンを混同してしまう、楽しいことですが、ファンタジーの弊害の1例といえるでしょう。実際には骨折などの危険性のある装備の足への縛りつけは禁止されていたといいます。同様に、M16ライフル用のM7銃剣までのアメリカ軍銃剣ファミリーの曽祖父であるM3ナイフ用の2番目のさや、キャンバスにプラスチックを塗布して作ったM8さやの穴も、水抜き用です。ホルスターの話でコレクター間でよく出る話、「ホルスターにはブリティッシュメイドはないようだ。」ありとあらゆるものが製造された英国製アメリカ軍向け装備・被服ブリティッシュ・メイド。「こんなものも存在した。」と戦後長い時間をかけて様々なブリティッシュ・メイド製品が発見・発表されてきましたが、ブリティッシュメイドはいまだに発表されていません。ホルスターは武器の付属品として本国から運んだから英国で造る必要がなかった、と乾燥した判断をするか、上記のような「しらける」判断をしないで「ピストルに思い入れのあるアメリカ人は、ホルスターだけは自国製を用いたかった」と熱い判断をするか。当時の英国が綿製歩兵装備P37の生産を補おうとして、国内の低レベル工場を動員するために製作した「皮製P37」であるP39装備を製作しており、皮製装備の製作は容易であったことから、この親しみやすい考察もあながちファンタジーと片付けてはいけないような気がします。ホルスター開発当初の話をもうひとつ。80年近く生きたこのホルスター、頑固に皮製を通しましたが収納されるM1911が開発された当初、実は綿製、キャンバスによる製作がなされていました。当時アメリカ軍個人装備をほぼ独占した製作していたミルズ社によるキャンバス製ホルスターがそれです。いわゆるプロトタイプではなく、一定数支給され、さらに個人自費購入の分を入れるとかなりの数が使用されたようです。このホルスターでも下端部分にはどう見ても最も費用がかかっている丁寧なプレス製法でつくられたチップが付き、水抜き穴があります。また閉鎖具もその後1世紀近くしようされる「リフトドット」閉鎖具の元祖ともゆうべき円形のスプリング内蔵閉鎖具が使用されています。ホルスターの話の最後のひとつ、今度はベトナム戦争です。真剣なコレクターにとって、収集対商品の「年号」は非常に重要です。ライトウェイト、トロピカルのベトナム戦争2大リュックサックのように際像期間がほぼ戦争継続期間と一致しているなら問題ありませんが、1974年製の被服などは、コレクションに加えるのにちょっと迷いますよね。お問い合わせで「拳銃ホルスターで、ベトナム戦争当時の年号が入っているものを希望します。」という方はとても多いのですが、「でもお友達やお店の在庫などで1960年代の刻印のものってご覧になったことありますか?」と失礼ながら逆に質問させていただくとほとんどの方が「ない」とお答えになります。レコレクショヌールの担当者自身、かなりの数の黒皮ホルスターを見ましたが、たった一度だけ、「1963年」という刻印いりを見ただけです。では60年代製造のホルスターはどこに行ってしまったのか?アメリカが支援した中米諸国にでも山のようにあるのか?戦後30年経過して、どこからも出てきませんからそれもなさそうです。最近の「説」はこういったものが支持さr手着ております。第2次大戦で45口径ホルスターを製造しすぎた。また拳銃は第2次大戦以降軍装備として重要性を失ったので、ホルスターの開発もなされなかった。ベトナム戦争では、第2次大戦であまった45年製などのWW2ロットを黒染めして使用していた。どうしても足りない分は発注して製作したが、余りにも多くのWW2ロットがあったので、ほとんどは俺を黒染めして使った。また「無駄など気にしない豊かな国アメリカの印象が揺らぐ話ですが、朝鮮戦争時に採用された、落下傘兵ブーツを元にして作られた茶皮コンバットブーツは黒皮ブーツが採用になった際、未使用在庫はすべて工場へ回収され、「黒染め」されました。(この「工場染め」ブーツはかなりしっかり見ないと後染めであることがわかりません)すでに兵士たちが着用していたブーツもかなりきびしい手順で兵舎で黒染めされ、そのまま着用が続けられました。現在、このトウキャップ付き黒皮ブーツは初期ベトナム戦争を再現する方にとってとても希求されており、レコレクショヌールも輸入に力を入れていますが、発見されるものの60%以上、がこの黒染め品です。このことから考えて、ベトナム戦時のホルスターは黒染めWW2ロット、というのは正しい判断かも。今では私たちと研究仲間も、この説を支持しております。いまだに年号いり黒皮ホルスターの目撃はあの63年製1点のみ。それと仲間全員で思い出したのが、10年ほど前に東京・御徒町の中田商店で、乾いて縮んで、硬くなってしまった「茶皮製黒染め」ホルスターがダンボールに入って大量に売られていたのを思い出したからです。同時期に「蔵出し」された品物といえば、やはり乾燥してだめになった2世代目の黒皮コンバットブーツ(66年製くらい)、M56装備などでしたから、ピラミッド発掘状態の中で上記の説が説得力を持つに足るものでは、と考えられるようになりました。その茶皮黒染めホルスターはどうなったかって?当時は今のような判断力もない、「猫またぎ」で誰も買いませんでした。あぁ、悔やまれますが、コレクションとはこういった話が多いのです。
〜ベトナム戦争、自分だけの資料をもとめる方々〜
最近とても増えている電話のお問い合わせ。それは資料に関するものです。
まずは日本で刊行された英文邦文訳による良質な出版物、例として並木書房の「ベトナム戦争軍装ガイド」などはある程度シリアスにベトナム戦争の遺物の収集をしようとする人はお買い求めになっているようです。この良質な本の続編とおいうべき出版物とあわせて、映画や当時のニュース映像で得たイメージを増幅させてコレクションに取り組んできた方々が、ある程度ものをそろえ、一定の満足にたっしたあと求めるもの、それは、これからコレクションというものに、また実物と良質なレプリカによるリエナクトメントんい取り組んでい行こうと決心なさったころ(以前にも申し上げたとおり、最初の一品をお金を出して購入なさる前は非常にな勇気がいったはずです。)前述の並木書房などの資料を買い求めそれをわくわくしながら見つめ、ひとつの写真を述べ何時間もかけて見つめ続けたころの感動をもう一度もちたいという方が、とても増えたおられるようです。まさにナポレオンの軍隊がエジプトで発見し、古代エジプト文明研究の先下気となったロゼッタストーンのごとく、自分の興味のありどころを具現化し、増幅する資料をもとめる、とはコレクターとして確実なステップアップが成されているといえます。お問い合わせのお電話は、「何か良い日本語の資料はないでしょうか。」というものがおおいのですが、この「日本語」のという点では、皆無といってよいでしょう。まずは過去の玩具銃器関連雑誌のバックナンバーのベトナム特集、しかしこれらは多くても5ページ程度、さらに雑誌掲載記事は基本的に「初心者のk他でも読みやすく」という雑誌の方針がありますから、資料をほしいという方にはレベル的に合いません。もうすでに「現在手に入る出版物以外の資料が欲しい。」というコレクターの方々は良い意味で日本語主体のコミュニケーションの範囲を越えていることになります。「英語は苦手」とおっしゃる方もおられるでしょうけれど、英文を読めないベトナム戦争専門のフランス人の大コレクターもいるのです。彼らも我々高いレベルをもつ日本人も「写真を読む。」ということが万国共通の研究手段であることを証明しているといえるでしょう。アメリカをはじめとして、70年代、80年代には写真を中心としたハードカバーの写真の多用したピクトリアル出版物が多く、レコレクショヌールではこういった洋書を資料として輸入に力を入れておりますが、これらの書籍は流通量も少なく、特にアメリカ人業者と個人コレクターは「利幅の少ない」書籍を積極的に販売目的で入手し用途はしないため常に品薄です。また、品薄のもうひとつの理由は書籍をお求めになるお客様は、内容はそれほど気にせず、大体の内容を把握すると、入荷分をほとんどすべてお求めになる方が多い(レコレクショヌールを信用してくださってありがたいのですが)のもなかなかすべてのお客様に書籍をお勧めできない理由です。でもここでどなたにでも手軽に試みられることが一点ございます。これは最近、関東圏以外のお客様との会話でヒントを得たものですが、皆様のお住まいの近くにはかならず古書店があるはずです。ここで当時60−70年代の「朝日グラフ」などの古本をお探しになると、報道写真としてかなり資料製の高いものが出ていることがあります。特に南ベトナム軍の写真などは、上京したお客様に見せていただいて、驚くような貴重な写真がありました。確かに、1冊の雑誌でよい写真は1―2枚だけかもしれません。しかし、見つかった写真は自分だけの貴重な資料、同様の作業を進めてコレクション仲間やゲーム仲間との交流も深めれば、さらに資料は増えることでしょう。こういった古書店めぐりを続けてつつ、専門店やオークションで洋書を探してゆけば、かならず良い資料は増えてゆくでしょう。時間がかかる、という問題ですか。もとより、良い資料というものは被服・装備・徽章などのコレクション現物よりも入手は困難なものです。流通量は少ないし、お金で解決できないのが良質な資料です。コレクション現物よりも、「時間経過による入手難易度アップ」は厳しいといえます。ただ、資料で得た知識(軍装の場合は常識、のほうが多いかもしれませんが)は物を売ってしまったり、汚損してしまったりしても、永遠に自分に残る、ある意味現物よりも重要なものかも知れません。